<四十九の葉>
楽器の話(二)

 初めてのベースを手に入れる1年半ぐらい前、中学2年生の時にガットギターを買ってもらった。「ギターがほしい」と告げたぼくに対し、母から返ってきた答えは予想外のものだった。「いいわよ、いくらなの?」あまりにあっけないものだったから、あれこれと理由を考えていたのにと拍子抜けしてしまったのを覚えている。あの時の母は機嫌がよかったのか、いいことがあったのか、あるいはギターに何かインスピレーションのようなものを感じたのか…理由はともかく万々歳だ。ぼくはお金を握りしめて目当ての店に向かって自転車を飛ばした。

 その店は、名前は忘れてしまったが楽器屋ではなく雑貨屋だった。ちょっとした家具から聞いたことのないメーカーの時計やライター、バックに衣類、指輪やネックレス等の装飾品にいたるまで、たくさんの商品を揃えていた。目当ての“あいつ”は店先の壁に“兄弟分”とともに掛けられていた。「あった!」狙いは2本のギターのうちの左側のスッキリとした顔の方だ。「もし、売れていたらどうしよう」ぼくの両目が“あいつ”をとらえた瞬間にそんな数パーセントの不安は吹き飛んでしまった。隣の“兄弟分”には顔の左頬あたりに手の平ぐらいの黒い痣があった。(※この痣はピックガードというのだと後で知った。)何ヶ月か前から、店の前を通るたびに憧れの目で見つめずにはいられなかった“あいつ”。その“あいつ”が自分のものになったのだ。「やった!」興奮は抑え切れなかった。先月、5歳の甥っ子の誕生日に小さなグローブをプレゼントしたのだが、それを受け取った瞬間、彼は体全体を震わせ、飛び上がり、満面の笑みを浮かべた。その喜ぶさまを今、ふと思い出した。子供の頃はぼくたちもああやって感情を表現していたのだ。14歳になっても、そして45歳の今でも、本当にほしいものを手に入れたときのうれしい気持ちに変わりがある訳はない。これからはもっともっと素直に喜びを表してもいいかなと思う。

 ギターケースのことはまったく頭になかった。店にもおいていなかった。ギターの形に合わせた台形の段ボール箱が専用ケースだった。ビニール紐を縦横2本ずつ掛けてもらい、更にその間に紐を通して持てるようにしてもらった。軽かったから片手で持っても、どうということはなかったが、とにかく一刻も早くさわりたいという一心で、急いで家に帰ったのだろう。そこから後のことは覚えていない。

 その店にあった2本のギターはフォークギターとガットギターだった。その頃は両者の違いなど分からなかったので、安い方のギター(ガットギター)を買ったのだが、メーカー名も記されていないような初心者向けの安ギターだった。それでも14歳のぼくには輝いて見えた。何より、いい音がした。記憶の中のその響きは、他のどんな高級ギターにも代えられないほどのいい音だった。その日から、10数年にわたってぼくはそのギターでたくさんの曲を作った。“あいつ”はあふれるようにメロディーを紡ぎだしてくれたが、残念なことに、本当に残念なことにぼくは“あいつ”を手放してしまって、今ここにはいない。2007年現在、ぼくの手元にあるのは20代後半に買ったアコギ(※現在はフォークギターとは言わずにほとんどの場合、アコースティックギターと呼ぶ。略してアコギという)だ。14歳からの“相棒”はこいつを買ったときに手放してしまったのだ。後悔してもしょうがないが、もっと大事にしてやればよかたなと心が痛む。10年以上使った楽器は手放すものではない。ボディーに貼ったステッカーまでが懐かしい。

 家でポロンと奏でるにはガットギターの方が温かみがあって断然いい。両者の違いを簡単に説明してみよう。一番大きな違いは弦だ。フォークギターは弾き語りで使われることが多く、金属の弦が張られている。多くの場合、ピックで6本の金属弦をかき鳴らす。その際にピックがボディーの表面を傷つけないようにべっ甲やセルロイドのピックガードがサウンドホールに沿って貼られているものが多い。バラードや静かめの曲は右手の指を使ってアルペジオ(※和音を分散していく奏法)で弾くこともある。ギブソンやマーチンが有名でビンテージものはストラト(※フェンダー社のストラトキャスターのこと。1954年発表。エレクトリックギターの代表的な存在)やジャズベ同様高値で売買されている。もちろん、音も素晴らしい。

 ガットギターは、クラシックギターともスパニッシュギターとも呼ばれる古い楽器だ。その名のごとくクラシック音楽でも使われている。フラメンコの音楽に使われる楽器としても有名だ。ガットギターにはガット、ナイロン、フロロカーボン等の弦が使われる。ガット(gut)とは腸などの消化器官を意味する英語だが、昔はガットギターには羊の腸が弦として使われていた。テニスのラケットや釣り糸に使われていたものと同じだ。ちなみに、根性という意味のガッツ(guts)も語源は同じ。フォークギターが14フレットでボディーと接合しているのに対して、ガットギターは12フレットで接合している、というような違いもある。弦の張り方も違う。

 当時、弦楽器を買ったぼくたちが最初に覚えること、それはチューニングだった。チューニングメーターが、まだ世に出る前のことだ。ギターの場合は第5弦、ベースの場合は第3弦の開放弦のピッチ(音程)をピアノの「ラ」の音、つまり「A」の音に合わせるのだ。鍵盤楽器がないときは、音叉(※“おんさ”と読む。叩くと「A」の音が響くU字形の金属)を鳴らしてそれを口にくわえて音を合わせたものだ。慣れるまではむずかしい。弦はあらかじめ緩めにしておく。ギターの5弦(ベースなら3弦)だけを鳴らし、すぐに音叉を鳴らす。ギターもベースも実音ではなくハーモニクス(※弦を軽く押さえて倍音を出す奏法)の方が分かりやすい。ペグを静かに巻き始める。ふたつの音の“揺れ” ピッチ(音程)が近づくにつれてゆっくりと幅が大きくなり、やがてその揺れはひとつになる。その状態のことを「ピッチが合う」「音が合う」という。その状態を越してしまうと再び揺れが現れ、今度は上にどんどんずれていく。だから、揺れ幅がつかめていないままペグを巻き続けると、音が上がり過ぎて弦は遠慮なく切れてしまう。「ギギギーッ」と回していると「バチッ」とものすごい音がして弦は使命を終えてしまうのだ。当時の初心者は誰もが弦を切った。何度も切って弦の張り方を覚えていったのだ。スペアの弦を買っておくという習慣もなかったから、新しい弦を買わない限り演奏することはできない。ベースの弦は1セット6000円ぐらいだった。ぼくがバンドに興味を持ってから高校を卒業するころまでは、近くの楽器屋には6000円のロトサウンドの弦しかなかったし、ベースはロトの弦でないといけないと思っていた。赤っぽいパッケージはカッコよかったが、買うのは本当に大変だった。現在は品質を選ばなければ1セット1000円以下のものが何種類もある。プロが使うものでも2000円〜3000円台が中心だ。ロトサウンドも2000円台で買える。

 弦が切れている楽器は手にしたくない。なぜだろう、見るのも嫌だ。バランスの悪さ、みっともなさは前歯の抜けた口を開けて、ニッと笑った顔のようにしか見えないし痛々しささえ感じてしまう。それに、いつからだろうか、弦をすべて取ってしまうことに抵抗を覚えるようになってしまった。昔は弦を交換する時は4本ともニッパやペンチで切っていた。そして、ボディやネックを磨いてからゆっくりと1本1本張っていったものだ。けれど、本当にいつからだろう。弦のないベースの姿を見るのを避けるようになってしまったのだ。ベースの場合はテンションがきついから一気に4本外してしまうのはネックに負担がかかりすぎてよくないということもあるが、その前にルックス、見た目がどうも気に入らない。弦のないベースを他のものに例えるとしたら…たとえば、「樹木も雪もない禿山(はげやま)と化した富士山」とか「干上がった太平洋」とでも言えばいいだろうか。身包み剥がれて無防備なベースを前にした時の複雑な感情を一言で表現するのは難しいが、根本にはベースに対する深い愛情がある。だから、愛(いと)おしいのだが照れくさくて見ようにも見れないもの、だからこそ見てはいけないもの…つまり、自分のおばあちゃんのヌードを見るようなもので、できることなら遠慮したいのだ。(※天国のおばあちゃん、ごめんなさい)

 現在は、まず、4弦だけ外して、新しい4弦を張る。チューニングをきちっとしてから、次に3弦だけを替える。ここでもしっかりチューニングをしてから、2弦を、そして最後に1弦を、というようにしている。注意したいのは弦がねじれないようにすることと、弦の先をなるべく切らずにペグの上から下すれすれまでしっかりと巻きつけることだ。これだけでテンションがまったく違うものになってしまう。弾きやすさが、音が違ってくる。それに、弦の張り替えはひとつの儀式のようなものでベースと向き合えるいい機会でもあるのだ。

 弦楽器初心者がまず身につけなければならないのは、弦を切らないでチューニングができるようになることだった。そのためにはハーモニクスで音を出すことを覚えなければならなかった。これができてから初めて“弾く”という行為に移れたのだ。ぼくたちの世代はチューニングができないと次には進めなかった。自分の耳でのチューニングには、どこかアナログの温かさがある。チューニングメーターは便利だし、これを使えば正確な調弦を簡単に行うことができる。今では常にベースのケースに入っているし、特にステージではなくてはならない必需品だ。だが、チューニングメーターで合わせた後に、自分の耳で再確認することを忘れてはならない。今回もアッという間に(原稿用紙に換算して)10枚を超えてしまった。楽器の話はまだまだ尽きない。(つづく)

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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