<五十四の葉>
ノリオの日常
五月の輝き


 5月の空は晴れ渡っていた。澄み切った“青”がどこまでも続いている。風はほとんどない。「五月晴(さつきばれ)とはよくいったものだ。心まで晴れる。」ノリオは駅に向かって歩を進めながら、目の前に広がる空を満足げに眺めていた。五月晴とは、本来は旧暦5月(新暦6月)の梅雨の合間に訪れる貴重な晴れ間のことを指していた。五月雨(さみだれ)と言えば今でも梅雨の長雨のことだが、五月晴はいつの間にか新暦5月の晴天の意味で使われるようになったようだ。そういえば、このところ雨は降っていない。あっぱれ爽快な水曜日の昼下がりである。代休を利用して久しぶりに買い物にでも出かけようと考えたノリオは、遅めの朝食をとり、洗濯をしてからゆっくりと外に出たのだった。

 朝食は軽くすませた。キャベツをたっぷり入れて作ったコンソメスープと昨夜ローソンで買った黒糖パンふたつ、それにダノンヨーグルトひとカップとインスタントコーヒーだ。インスタントコーヒーといってもばかにしてはいけない。ノリオはインスタントコーヒーを長年飲み続けた末に、ノリオ流の美味く淹れる方法を会得していた。まず、沸騰すると音の出るヤカンに新鮮な水をたっぷり注ぎ、火にかけてしばらく待つ。沸騰する直前にネスカフェ・ゴールドブレンドのビンをおもむろにつかみ蓋をゆっくり開け、間髪入れずに鼻に近づけスッと香りを吸い込む。(※自分の脳に、オレはこれからこの素晴しい香りがする不揃いの粒を液体にして体に注ぎ入れるのだ。楽しみに待っていろ、と伝えて受け入れ準備をさせるのに必要な行為だとノリオは思っている。)続いて、櫨色(はじいろ)と言ったらいいか、黄櫨染(こうろぜん)と言ったらいいか、美しい褐色の粒を使い込んだコーヒーカップにサササッと振り落とす。一気に入れるのだ。けっしてひるんではいけない。目分量でいい。と同時にピューと音を出し始めたヤカンをつかみ熱湯を勢いよく注ぎ込む。せっかくの熱湯を冷ましてはならない。なるべく100℃に近いお湯を注ぎたい。お湯は沸騰しているので当然飛び散る。熱い。火傷(やけど)にだけは気をつけなければならない。コーヒーの粒はボコボコと泡を吹きながら一瞬にして溶け、かぐわしい香りが部屋一杯に広がる。この泡が美味さを決めるポイントなのだ。お湯をゆっくりと注ぐと泡は立たない。ここで、ちょっとだけ冷ましてからソソッとすする。すべての流れがうまくいった場合は「美味い!」そしてノリオは90%以上の確率でうまく淹れられるようになっていた。インスタントコーヒーの量の多い少ないで苦かったり物足りなかったりしても、けっしてお湯やコーヒーを足して調整しようとしてはいけない。うまくいった例(ためし)がないからだ。そんなときはその日の運だとあきらめて飲むしかないのだ。ノリオが愛用しているカップはふたつある。ひとつは17年ぐらい前にバンクーバー土産にともらったネイティブインディアンの文様の入ったもの。もうひとつは数年前にイギリスの友人がくれたイングランドの紋章絵柄のものだ。ふたつあると不自由しない。ノリオはこういった小物の物持ちがいい。

 インスタントコーヒーはコーヒー豆の抽出液を乾燥させて粉末状に加工したものだ。1899年にシカゴ在住の日本人化学者・加藤博士が緑茶の即席化の研究をしているときにコーヒー抽出液を真空乾燥する技術を発明したのが最初らしいが、なぜかG.ワシントンという人が特許を取得しており、その謎は今でも解けていない。ノリオはサイフォンやコーヒーメーカーも持ってはいるが今ではほとんど使うこともなくなってしまった。モンカフェやブルックスコーヒーのように簡単に本格的なコーヒーを淹れられると謳(うた)ったものも好きではない。家にいるときは簡単にできるインスタントコーヒーで十分なのだ。

 ノリオが音の出るヤカンを使うには訳があった。過去に何度も飛ばしたことがあったからだ。6畳ひと間のアパートで暮らしていた頃の話だ。コタツもストーブもなくてヤカンを水で一杯にして沸騰させ、その蒸気で暖をとっていたことがあった。ほどほどに暖かくはなるが、常に水を足さないとお湯が蒸発しつくして空焚き状態になり、ヤカンは終(つい)にはバアアーーーーンと大きな音を立てて飛ぶのだ。ものすごいスピードだ。これはマジであぶない。近くに飛んできて大怪我をしそうになったこともある。それに、今でもヤカンをガスにかけたまま他の事に夢中になって空焚きしてしまう惧れがあることを自覚しているから、これらを踏まえて“音”で知らせてくれるヤカンを使うようになったのだ。

 久しぶりの登場だと言うのにインスタントコーヒーの話だけではノリオがかわいそうだ。もう少しだけ続けたい…。ノリオは洗濯にもこだわりを持っている。なぜだか、洗濯をすると心が落ち着くのだ。洗剤は液体のものを選ぶ。ソフナーはピンクキャップのダウニーがお気に入りだ。こだわりを持っているといっても使う洗濯機は全自動でどこにでもあるものだ。ノリオの喜びは干すことにある。すっきりと脱水された服をピンチハンガーに干していく。(※Tシャツ類は針金ハンガーに吊す。)パンパン!と伸ばしてからひとつずつ丁寧に並べていく。重いものと軽いもの、乾きやすいものと乾きにくいものを、バランスよく並べていく。当然、靴下は左右対称だ。こうして、すべての洗濯物を水平に、キチッと吊し終えたときの満足感、達成感がたまらないのだ。数時間後にパリッと乾いた服をたたむ気持ちよさも同じだ。見た目の美しさと乾きやすさの追求…。そこには創造性と合理性が見え隠れしている。一事が万事なのだ。
 
 こうして、こだわりの行事を無事に終えたノリオは着替えをパッとすませ外に躍り出た。充実感を背負った男には5月の輝きがよく似合う。しかし、この日ノリオがいい買い物をしたかどうかはまた別の問題だ。

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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