僕の生まれ故郷 『光町』 はこの3月27日に 『横芝町』 と合併、『横芝光町』 として生まれ変わった。希望の固まりのような名を持ったこの町は昭和29年5月3日に日吉村、南条村、東陽村、白浜村の4村が合併して光町となって以来、半世紀の間輝き続けてくれた。まずは一言お礼を。「ありがとう!そしてお疲れさまでした!」 最後の最後で中国から来た“鬼嫁” さんの話題で光町、光町とワイドショーで連呼されたが、これはご愛嬌ということにしよう。昨年テレビで紹介されていた光町産のレタスも町のPRに一役買ってくれた。自然光を遮断した工場で赤色LED(発光ダイオード)を当てて栽培されたものでシャキシャキっとしてかなり美味い。光町で有名とされているものは 「アカウミガメ」 の産卵地や 「コアジサシ」 の営巣地がある 『木戸浜海岸』 と東日本では88年ぶりに確認された水生昆虫 「ミサキツノトビケラ」 や26種類ものトンボが生息している 『乾草沼(ひぐさぬま)』 ぐらいか。僕が子供の頃は海と言えば木戸浜だった。あの頃は海開きも大イベントだった。宝探しが目玉。白い砂浜や防波林に隠された数字の書いてある紙を探し出すと、その数字に照らし合わせて景品がもらえた。子供の小遣いの域を超えるぐらいの大物も混じっていたので真剣度も増した。海の家も豪華にずらっと並んでいたが、今やなんとなくこじんまりとしてしまったと感じるのは気のせいだろうか。なだらかな海岸線は東を見ても西を見ても果てがない。夜明けも夕焼けも美しい。九十九里海岸に打ち寄せる波はかなり荒いが遠浅だから遊ぶには持ってこいだ。大学生になって初めて湘南の海に行った時にはその波の穏やかさや砂浜の違いに驚いた。同じ関東の海でもまるで違うが、それぞれでまたいい。乾草沼は “沼” だけあって “湖” や “池” のようなロマンチックな風情はまったくない。観光客などは見たこともなく釣り人を見かける程度だった。鬱蒼としているだけの印象だったが、最近は大きな蓮の花が人の目を楽しませているようだ。河童が出るなんて話がまことしやかに囁かれたこともあった。

  変わったところでは虫生(むしょう)地区に 『鬼来迎』 (きらいごう)という国指定重要無形民族文化財の仏教劇がある。地区の住民だけに伝承されている全国で唯一の古典的な型を伝えた地獄劇だ。地獄の責苦を骨子とした 「大序−賽の河原−釜入れ−死出の山」 の四段と交済寺建立縁起を物語る 「和尚道行−墓参−和尚物語」 の三段、合わせて七段からなり、上演時間は約1時間半である。因果応報、勧善懲悪を説いている。恥ずかしながら数年前に初めて見たのだが、鎌倉時代初期から約800年も続く歴史は伊達ではない。演目そのものは当然として舞台、装束、面、小道具からも奥深さが感じられた。面をかぶったまましゃべるのだがそのちょっとこもった声のトーンが不思議な魅力を醸し出している。当然生声だから狭い空間で行われる。毎年お盆の8月16日午後3時頃から始まる。あくまでもお盆の儀式の一環として行われるため開演時間は流動的だ。

  町の印象を一言で言うと 「農業の町」 だ。秋などは稲穂が延々と続きそれは美しい。ほどほどに山もある。鮭(共同稚魚放流事業)の遡上する南限の川として知られる(らしいが知らなかった)栗山川もある。素朴なところで育ったせいだろうか、19歳で上京したがどうしてもいわゆる都会には住めなかった。近くに緑や川がないと落ち着かないのだ。今でもちょっと歩くと静かな風景がある街に住んでいる。

  誰でも子供の頃は認識できる行動範囲が限られている。歩けるようになるとまずは自分の家、そして近所、というように少しずつ広がっていった。自転車に乗れるようになると行動範囲は飛躍的に広がる。それでも未だに町の隅々まで知っているとは到底言えない。上総(かずさ)と下総(しもうさ)の国境だった栗山川を挟んで西側が山武郡横芝町、東側が匝瑳(そうさ)郡光町だった。両町の大きさは同じぐらいだから感覚で言うと栗山川を挟んでハンバーガーを縦においたような形になる。新住所は山武郡横芝光町となり、光町の住民は国替えをした形になった。しかし、近い将来新たな合併があることはまず間違いないらしい。それまでは新しい町を帰る度にちょっとずつ散策してみようかなと思う。横芝町には千葉県東部で最大規模の戦国時代の城郭、坂田城があった。その城跡には県内有数の梅林がある。畑の中に広がる1500本の巨木は見事。その城跡に隣接している広さ21haもある広大な 『ふれあい坂田池公園』。坂田池を中心に公園や運動広場、湿生植物園等が並ぶ。ここで毎夏に行われる花火大会も壮大だ。

  ここ数年、特に2005年、2006年は国のいたる所で市町村合併が行われた。地方自治体を大きく括って独立性をもたせ、アメリカにおける州制のような 『道州制』 を導入しようという動きもある。人口の減少や経済格差に伴ってどんどん変化させていかなくてはならないのだろう。古い町や村の名前が消えて行くのは寂しいが、その変化の時期に生きられることもまた楽しいと前向きに受け入れていきたい。それにしても日本古来の美しい名が無くなり代わりに洒落たカタカナ名の自治体が誕生しているのだけはどうかと思う。名は大事にしてほしい。

  横芝光町誕生。生まれ故郷の話になった時に 「俺もそこ!」 と言える人の数が倍になった。3月25日、時期を合わせるかのように 『松尾横芝』 インターまでだった高速道路が延びて 『横芝光』 インターができた。故郷がまた少し近くなった。


  ※ 松尾横芝インターまでは東金有料道路、そこから銚子までは銚子連絡道路として整備される予定である。
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