助手席から出てきた警官の一言に出鼻を挫(くじ)かれたオレは、機先を制すどころか対決気分までも吹き飛んでしまった。まったく独りよがりの対決気分だから、警官にとっては大迷惑だろう。この時のオレのように、頭に血がのぼった違反者にはこのタイプの警官が打ってつけだ。柳の木は、大木をなぎ倒すような大風をも受け流すという。現代ほど、このような “柳派” (暖簾派とも言う)の警官が必要とされる時代はないだろう。上から目線の高飛車な態度の “硬岩派” の警官は論外だが、“四角定規派” のように真面目過ぎてもいけないし、“豆腐派” のようにくだけ過ぎてもいけない。話をしっかり受け止めて、深い心で諭してくれるような人がいい。柳派警官の増員が望まれる。

  眼鏡の警官とほぼ同時に、運転席からも警官が降りてきた。若い。20代前半だろう。オレはふたりに迎えられるかっこうになった。

「うんでんすさん、急いでだのがなあ?」
助手席から降りてきた眼鏡の警官は続けた。オレは、決して急いでなんていない。ここまでの道のりは順調過ぎると言ってもいいほどだ。

「いいえ」
当たり前の質問には、ぶっきらぼうに応えるしかない。オレの答えが耳に入ったのか入らなかったのか、眼鏡の警官は無反応のまま手招きした。

「こっづぃ、こっづぃ」
オレは、急(せ)かされないうちにと自ら進んでパトカーの後部座席に乗り込み、言われる前に免許証を差し出した。ふたりの警官も元の席に戻っていた。若い警官が口を開いた。

「34キロオーバーです。ずいぶんスピード出てましたねぇ。この道路は80キロ制限なんですよ。知ってました?」

「はい・・・」
オレは素直に応えた。標識には80キロと書いてある。

「114キロで34キロオーバーですね。」
はぁ・・・。最早(もはや)、ため息をつくしかない。『34キロオーバーって何点減点なんだ?・・・しかも、免停は確定だ。』 オレは改めて観念した。若い警官は続けた。

「今、点数の方はどうですか?」
『・・・ん?そんなことを聞くなんて・・・もしかしたら、見逃してくれるのか』 淡い期待が頭をもたげてくる。『あと数点で免停になると言ったら、黙って先に行かせてくれるかもしれない』 オレは、すがるような思いで口を開いた。

「ぎ、ぎりぎりだと思います」
自分でも分かるくらいに声のトーンが違っている。

「そうですか・・・。・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。」

『・・・に続く言葉は何だ?』 オレは次の言葉を待った。そうですかの次には何がくるんだ?「お気の毒ですから、今回は特別になしにしましょう!」 とか 「そうかぁ・・・それは困りますね、じゃ、今回だけは注意にしておきます。気をつけて言ってくださいね」 とか、そんな言葉が続くんじゃねえのか?オレは心を躍らせて待っていた。だが、いつまで待っても若い警官の口からは次の句が出てこない。それどころか、何もなかったかのような顔をしてオレの名前やら免許証番号やらを書類に書き込んでいる。『だたの社交辞令じゃねえか。変な期待を持たせるんじゃねえ!』 新たな怒りの黒雲が心を覆い始める。その時、眼鏡の警官が沈黙を破った。

「たぁげえど〜」
ん?何を言っているんだ。

「はい?」
オレは聞きなおした。

「いやあ、すごおしたげえどぉ」
『!』 た、高いと言っているのか。オレはすぐに理解した。反則金のことを言っているに違いない。34キロオーバーだ。かなりの金額が予想される。

「50,000円ぐらいですか?」

「そんなにいがねえ」
オレはホッとした。

「じゃあ、40,000円ぐらいですか?」

「そこまでいがねえ」
眼鏡の警官はやけに楽しそうだ。

「じゃあ、20,000円?」

「ひぐい!」
『低いって・・・こいう使い方するか?』

「30,000円!」

「しねえ!」
顔が紅潮してきた。
「じゃあ、25,000円ぐらいですか?」

「・・・・・」
突然、警官は真顔になった。

「・・・まあ、そのあだりがもしんねえな・・・」
つまらなそうにつぶやいた。この警官は、何をごまかそうとしているんだ?反則金は25,000円だと状況が言っているじゃねえか。オレを煽(あお)っておきながら、はっきり言わないなんて意地が悪い。それにしても25,000円は痛い。後で知ることになるのだが、スピード違反の罰則は違反速度によって細かく分かれている。以下は、普通乗用車の場合だ。一般道路と高速道路とでは内容が異なっている。

<一般道路>
◆ 15キロ未満 ・・・・・・・・・・・・1点減点 反則金9,000円
◆ 15キロ以上20キロ未満・・・1点減点 反則金12,000円
◆ 20キロ以上25キロ未満・・・2点減点 反則金15,000円
◆ 25キロ以上30キロ未満・・・3点減点 反則金18,000円
◆ 30キロ以上50キロ未満・・・6点減点 検察官呼び出し
◆ 50キロ以上 ・・・・・・・・・・・12点減点 検察官呼び出し

<高速道路>
◆ 30キロ以上35キロ未満・・・3点減点 反則金25,000円
◆ 35キロ以上40キロ未満・・・3点減点 反則金35,000円
◆ 40キロ以上50キロ未満・・・6点減点 検察官呼び出し
◆ 50キロ以上 ・・・・・・・・・・・12点減点 検察官呼び出し

※ この他、一般道路、高速道路ともに酒気帯び点数があり、アルコール濃度によっても点数と罰金が異なる。

  一般道路で30キロ以上、高速道路で40キロ以上の違反を犯すと反則金と点数減点だけで済む青切符ではなく赤切符を切られることになる。赤色切符の場合、検察官からの呼び出しがあり、状況確認などの取調べを受けなければならない。その上で、罰金の程度が決められる。つまり、通常の刑事罰としての扱いを受けることになるのだ。こうなると、最低でも60,000〜70,000円の罰金を覚悟しなければならない。オレは、80キロ道路にもかかわらず120キロは出していた。計測の時にたまたま114キロだったのか、あるいは、意図的に3点の違反にしてくれたのか・・・。あくまでも推測だが、悪質でない限り、情状酌量の意が働く場合があるのではないだろうか。


  普段は考えもしないのだが、自分が検挙されたときにふと浮かぶ感情がある。『何で自分だけが・・・』 という複雑な感情だ。そう感じる人は多いと思うのだがどうだろう。パトカーの中で書類を作成されている時、そうは思わないか?一般道路なら1キロオーバーでも違反のはずだ。『今の車も、あの車も、みんな違反じゃないか!何で取り締まらないんだ!』 そう叫びたくなるのは、オレだけではないはずだ。40キロで走っている車がどれくらいいるというんだ。どんなに甘く見積もっても、半数の車が41キロ以上のスピードで走っている。だが、未だに1キロオーバーで捕まったという話は聞いたことがない。実際にそんなことになったら大変だ。オレなど、いくら点数があっても足りない。

  『何で、車をこんなにスピードが出るように作るんだ?』 こうも思ってしまう。日本の道路の最高速度は、高速道路なら100キロ、一般道路なら60キロ (緊急車両は80キロ) となっている。それなのに、たいていの車は150キロ以上ものスピードが出る。『100キロ以上出る車を作らないようにすればいいじゃないか!』

  自分が検挙された途端にこんなことを考えるなんて、オレはなんて卑しいんだと情けなく思うのだが、心の動きは止められない。人間とはこんなものだと自分で自分を慰めるしかないのか。だが、こんな世迷言を並べ立てるのも人間なら、それをすぐに忘れてしまうのも人間だ。青切符には、指定速度違反 (34キロ超過80キロのところ114キロ) と記され、補足欄には高速国道車道という判が押された。減点は3、反則金はまぎれもなく25,000円だった。 (つづく)

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