ベースという楽器は、アンサンブルの中心にある。この場合のアンサンブルとは 『演奏のまとまり具合』 を意味するが、ベースの存在は、人体ならば骨、家ならば柱といったところだ。リズムの要(かなめ)であるドラムにも同じように “支える” という役割があるが、ベースには、そのドラムと他の楽器の橋渡し的な役回りも求められる。“リズム” 楽器でありながら、ギターやキーボードと同じように “メロディー” の部分も担っているからだ。だから、ベーシストは視野が広くなくてはならない。ステージにおいては、その場の “大勢” を読む戦略眼が求められる。まるで “軍師” だ。軍師といえば、張良子房や諸葛亮孔明、日本では、山本勘助、黒田勘兵衛、竹中半兵衛等の名前が思い浮かぶが、彼らは軍事における参謀役だけに留まらず、政治や文化の面でも皇帝や殿様を支えた。ただ、ぼくの知る限り、彼らは一様に目立つことが嫌いだ。一歩引いた所で力を発揮することに喜びを覚える人ばかりのように思える。まさに、ベーシストがこの立場だといえる。目立ち過ぎることなくボトムを支え、それでいて、存在感にあふれているというのが理想だ。

  演奏者には、それぞれが担当する楽器特有の性質があると思う。ぼくだけがそう感じるのではない。ほとんどのミュージシャンが声をそろえる。もちろん、どんな楽器を選んだにせよ、ミュージシャンとして共通する部分はたくさんある。『感受性が豊かなこと』 『職人気質を持っていること』 等だ。これらは、ミュージシャンに限らず、真の芸術家ならばすべての人が持っている。この点に関しては、プロもアマもない。

  ドラマーは、バンドにおける “エンジン” だ。だが、排気量が大きければいいというものではない。“安定性” こそが大切なのだ。ドラムは、何があっても途中で止まることは許されない。たとえば、演奏中に停電があったとしよう。ギター、ベース、キーボードはぱったりと音が止まってしまう。マイクも使えないからボーカリストもお手上げだ。さて、どうする。ドラマーの出番だ。電気がなくても、ドラムだけは生きている。広い会場ならば、ドラムの音も当然マイクで増幅しているだろうが、マイクが効かなくなったとしても慌てることはない。『ドラムソロ?ソロをやるような技術なんてないよ』と尻込みするドラマーも多いだろう。心配無用だ。むずかしいテクニックを披露するだけがソロではない。リズムを刻むだけでも味は出せる。電源が復活するまで、どうにかがんばりたい。ぼくは、ライブ中の停電を10代後半から20代頭にかけて3度ほど経験したことがある。最初はどうしたらいいのか戸惑ったが、3度目にもなると慣れたもので当時一緒にやっていたドラマーがかっこよく対応して切り抜けた。昨今は、このようなことが起こらないように設備が整えられているのが普通だから不安に思うことはないが、気構えだけはしっかり持っておきたい。ちなみに、ベースとドラム(パーカッションのような打楽器も含めて)のことを “リズム隊” と呼ぶ。同じリズム隊でもドラムは目立つ。手足4本を使って太鼓やシンバルをスティックでバシッと叩く。いかにも気持ちよさそうだ。ドラムは、耳も目も引きつける楽器なのだ。この相棒ともいえるドラムにもう少し触れてみたい。

  ドラマーを一言で表すならば “指揮者” だ。演奏の良し悪しは、ドラマーのカウントで決まると言ってもいい。良いドラマーは、例外なくカウントからして素晴らしい。同じ 「1、2、3、4、」 であっても、4ビート、8ビート、16ビート、と使い分けられなければ一人前とはいえない。カウントは、それほどまでに重要なのだ。普段、何気なくカウントしているという人は、他のプレーヤーが、自分が発するカウントだけで、リズムを感じられるように集中してやってほしい。バンドのメンバーを前に 「1、2、3、4、」 と声に出し、どんなリズムに聞こえたか言ってもらうといい。聞く側にも集中力が要求される。意識も変わるはずだ。こんな練習ならばスタジオに入る必要はない。気持ちさえあればどんな場所でも練習できるということだ。


  初めてバンドの演奏を見た人たちのほとんどが、ギターやボーカルに憧れる。なんせ目立つ。バンドの顔がボーカリストであり、ギタリストだからだ。ベースといえば、『ギターに似た楽器だけど何弾いているんだろ』 ぐらいにしか思われない。これには理由がある。ベースの音が聞こえにくいからだ。ベース音の周波数帯が聴き取れるようになるには慣れや訓練が必要となる。ベースが 『縁の下の力持ち』 と言われる所以(ゆえん)だ。ソロやピックアップはギターやドラムが中心だ。ベースは、初心者からは評価されにくい楽器なのだ。バンドを始めようとなると、80%以上の人がギターを選ぶ。圧倒的1番人気だ。次に続くのがドラムで、ベースはもっとも人気がない。地下室の会のメンバーにもじゃんけんで負けてベースを始めたという人や、みんながギターでベースがいない。その中でギターが一番下手だったからベースに回されたという人がかなりの割合でいる。かく言うぼくも、最初はギターに目が行った。中学生の時にガットギターを買ってもらい、高校生になったら絶対にエレキギターを買おうと思っていた。

  だが、ぼくは、結局ベースを手にすることになった。理由はふたつある。ひとつは、初めて観たバンドの生演奏でベースの音に衝撃を受けたこと。もうひとつは、ベースならギターよりも高い確率で頭角を現せるのではないかという発想を得たことだ。少々、邪(よこしま)な思いだが、田舎の高校生が想像した東京の高校生ギタリストたちは皆はるか先を行っていた。

  ベーシストの多くはマイナスの想いからベースという楽器を選んでいる。だが、違う角度から見れば、ベースに選ばれたということもできる。もともと、ベーシスト向きの性格をしていたのか、ベースを手にしてからベーシストらしい性格になったのかは意見の分かれるところだと思うが、ベースという楽器を選んで良かったとほとんどのベーシストが語っているという事実だけは伝えておきたい。

(つづく)

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