中学生になるとラジカセが欲しくなった。ラジカセとはラジオカセットレコーダーの略だ。文字通り、カセットレコーダーにラジオが付いたもので、当時の中学生や高校生の憧れの的だった。それでも、かなりの高級品だったから簡単には買ってもらえなかった。今で言うと何にあたるだろうか。iPodとスピーカー、それも7、8万円ぐらいのものを想像してもらえばいい。廉価ものなどなかった。みんな、あの手この手で親に働きかけてこの高級品を手に入れようと必死だった。ぼくは、中学2年生のとき、母に半年ほど頼み込んで買ってもらったと記憶している。勉強するからとか何とか言い続けたのだと思う。ラジカセは、思春期の子供たちにとって、大人の世界へと続く未知の扉を開ける鍵のようなものだった。大げさなことを言うようだが、高価なものを所有するということは、ある種の責任を持つということだ。ぼくたちは、音と同時に誇らしさも手に入れた。

  ラジカセには、ふたつの大きな用途があった。ひつとは、レコードの音をカセットテープに録音するということだ。コードを繋げばきれいに録音することができた。中学生にとって、カセットテープは救世主だった。レコードの5分の1以下の価格で音楽を手にすることができたのだ。ぼくたちは、レコードを貸し借りしてどんどんカセットテープの数を増やしていった。レコードには、『個人で楽しむ以外録音してはいけない』 と明記されていたが、借りたものを録音してはいけないというふうに解釈することはなかった。こうして、ぼくたちは、堂々とカセットテープに録音し続けた。

  カセットテープは、録音時間が5分のものから180分のものまで数十種類あったそうだが、標準的なものは、30分、46分、60分、90分、120分の5種類だった。たいていのレコードは46分テープに収めることができた。レコードはA面B面に分かれていたから、カセットテープのA面B面にそのまま入れればいいのだ。だが、コツをつかむまでは何度かの失敗が必要だった。誰もが浴びた洗礼がいくつかある。その中のひとつは、1曲目の出だしが1秒ほど欠けてしまうというものだった。カセットテープの頭の部分には録音できない “遊び” の部分がある。ほんの数秒だが、最初はこれが分からない。録音が終わり、喜び勇んでカセットテープのプレイボタンを押した途端に頭が欠けていて 『えええ〜っ』 とがっくりすることが何度かあった。1小節目の1拍目が欠けるなんてどうにも許せない。うまくいくまで何が何でもやり直したものだ。新しいテープは数秒進めてから録音するようになり、何かが録音してあるテープだと10秒ほど無音のまま上書き録音し、一度戻してから更に数秒進めて再度録音するようになった。こうした過程も、今考えると楽しいものだった。最終的には、指でテープを巻いて、茶色のテープが顔を出してから録音することを覚えた。こうすると、勘に頼らず目で確認することができる。曲の頭が欠けることはなくなった。

  あと数秒で終わる、というところでテープが終わってしまうのにも困った。レコードのA面の最後の曲をB面の1曲目に持ってくるなど考えられなかったからだ。A面とB面における曲の配置は、考えに考え抜かれていたと思う。いいアルバムには起承転結があった。A面が終わってレコード針を上げ、盤面をひっくり返してB面の1曲目に改めて針を落とす時間までが考慮されていた。A面やB面がテープの片面23分に入りきらなければ60分テープに録音し直したものだ。この頃の経験は、ライブやCDの曲順を決めるとき等、今でも役に立っている。テープが余った時などは、その使い方に個性が出た。途中で切れてももう1曲入れる人もいれば、そのままにしておく人もいた。ぼくはというと、A面の中の好きな曲をもう1曲入れた。この場合は曲が途切れても問題なかった。

  カセットケースに書く文字にも個性が出た。ボールペンがいいか、マジックがいいか。試行錯誤の末、ぼくは黒マジックで統一することにした。お気に入りのTDKのADシリーズにバンド名と曲名を書き込んでいった。青いラインにマジックの字がよく映えた。

  ただひとつ困ったことがあった。テレビの放送をきれいに録音することができなかったことだ。当時のテレビにラインアウトが付いていなかったのか、ぼくの家のテレビにだけ付いていなかったのかは分からない。結局は、テレビの前にラジカセを置いて音声を録音するより他に方法がなかった。ただ、内蔵マイクで直接録音するのだから、テレビの音だけでなく声や生活音も録音されてしまう。

  あるとき、ぼくはNHKのヤングミュージックショーを録音しようと試みた。YESかSUPERTRAMPのライブだったと思う。家族には、番組が始まる30分前から 『放送が終わるまでは絶対に音を立ててはいけない、声を出してもいけない』 と何度も念を押した。近くにいる弟や妹には 『シーッ』 と人差し指を口に持っていった。ふたりには遊びのようなものだったのだろう。やけにうれしそうだ。台所にいる母にも最後の念押しをすると、いよいよ番組が始まった。『は、始まった!』 ぼくの目はブラウン管に釘付けとなる。『カッコいい・・・』 そんなときに水道の音が聞こえてきた。『ま。、まずい!録音されちゃうかな・・・』 不安に思った途端に今度は母の鼻歌だ。さっきの約束はどうなってしまったんだ。完全に忘れている。

「ふふ〜ふ〜ん・・・♪ ふふふ ふ〜ん・・・♪」

  気持ち良さそうに歌っている。台所までは少々距離はあるが、録音されてしまう。弟と妹は口を押さえて必死に笑いをこらえている。ぼくは、泣きたくなったが、グッとこらえていた。その時だった。鼻歌がサビを迎えた。

「だんだん〜ばたけの〜〜♪」

ぼくは、我を忘れて大声で叫んでいた。

「おかあさん、なんだよ〜!声出しちゃいけないって言ったじゃないか〜〜!!」

(つづく)

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