2012年4月15日、ぼくは、館山のとあるホテルで目覚めた。カーテンは閉め切ってあるのに、ぼんやりと明るい。見ると備え付けの机の電燈がつけっぱなしになっている。前夜、ベッドに横になりながら 『消さなくては』 と思ったところまでは覚えている。その瞬間に眠りに落ちたのか。あっという間の朝だった。カーテンを開けると、前日とは打って変わって心地よい陽射しが、ぼくの視界を躍らせた。

  前日の4月14日、館山のBLISSで、BRU (Boso Rockers Union) 主催のイベントが行われた。千葉県の音楽を盛り上げようと立ち上げたBRUの28回目のライブイベントだ。ぼくは、今回はBassふたりのユニット 『BB-43』 で参加した。『BB-43』 のBBはBassとBassでBB、そしてB型同士でBB、ふたつの意味がある。数字の 『43』 は、依知川伸一の 『しん(4)』 と藤田光則の 『みつ(3)』 だ。

  結果的に、南総での初ライブは、予想以上の成功を収めることができた。この地に印した意義ある第一歩は、、友人であるエンドくんの尽力によるところが大きい。最初に何かを始めようというとき、大切なのは志や理想だ。社会的立場や財力などは意味を持たない。核となる人たちの求心力がものをいう。信頼が周りを巻き込み人を集める。そういう点で、エンドくんを中心とした執行部 (ちょっとおおげさだけど) のがんばりは、BRUの今後を明るく照らした。ライブ後の打ち上げも当然盛り上がり、最高の気分で15日を迎えたぼくは、BB-43の相棒みっちゃんと、サイクリングにでかけた。ぼくにとっては小学生以来の自転車での遠出だった。4月14日と15日、この2日間の出来事を時間の経過に沿って記してみようと思う。ライブの話だけではない。館山に向かう途中でのできごと、サイクリング中のできごと、南総でのあふれる思い出を存分に綴ってみたい。

  14日9時起床。予報に違(たが)わず春の嵐だ。風は冷たく4月とは思えないほど寒い。ぼくは、楽器と譜面のチェックをし、1泊分の着替えを用意した。午前11時ごろ、ぼくは、車で東京駅へと向かった。11日から13日まで東北で仕事をしていたみっちゃんをピックアップするためだ。彼が乗る東北新幹線は12時前に着くことになっていた。みっちゃんの趣味は自転車だ。家の中は自転車だらけ。居並ぶたくさんのBassと同じぐらいの数の自転車が、壁や床に所狭しと置かれている。カラフルな自転車はどれも厳選されたものばかりだ。値段を聞いたことはないが、素人の目から見ても安いものではないと分かる。彼は、休みがあると自転車で出かける。ひとりでも、家族とでも自転車で出かける。正月休みももちろん自転車だ。自転車に乗ることがどんなに気持ちよく、いい運動になるか熱く語るみっちゃんは、ぼくにもそんな思いを味あわせたいのだろう。いつも熱心に自転車を勧めてくれる。気持ちはありがたいし、ぼくだってその昔は、愛車 『ジテン号』 で町を駈け巡った自転車少年の端くれだ。その素晴らしさや楽しさはよく分かっている。結局、館山行きを機にみっちゃんの気持ちに応えることになった。せっかく南総に行くのなら、散策もしてみたいと考えたからだ。千葉県は広いということもあるが、館山は、ぼくの出身地、東総から見ると “遠い” という印象が強い。館山に向かう高速道路がないから、車だと5、6時間はかかる。電車で行くとしても総武本線で成東まで行き、東金線で大網へ、そこから更に外房線、内房線と乗り継いでやっと到着する。電車の本数も少なく接続が悪いと何時間もかかってしまう。これでは、交流は生まれにくい。自転車を買おうと心に決めたはいいが、この厳しいご時世。ぼくには常にほしい楽器があるから、あまり自転車にお金をつぎ込む訳にはいかない。ネットでの情報を頼りに、もちろん、みっちゃんにも相談をしながらとりあえずは、小遣いで買えるもの選んだ。初心者向けのものだ。ぼくにとっての6代目か7代目のジテン号となる。

  車の中には、みっちゃんから預かった楽器も含めて、アコースティックベース2本、アコギ1本、アンプ2台を積んだ。2台の折り畳み自転車も一緒だ。土曜日の幹線道路は混んでいることが多い。ぼくは、近くのインターから高速に乗り込んだ。普段、車で東京駅に行くことなどないから、頼りは車載のナビだけだ。高速はところどころ渋滞していたが、思ったほど時間はかからなかった。11時40分ごろ東京駅に着いた。新幹線口に近いと思われる中央口と丸ビルの間の道路脇、道幅があって迷惑にならない場所にとりあえず車を停めた。

  着いたら電話するよ、という約束通り、11時55分ごろ携帯に電話がかかってきた。順調だ。

「もしもし、今、着いた。どこ?」
「中央口にいるよ」
「わかった。今、行く」

数分後・・・
 
「どこ?分かんないんだけど」
「えーと、目の前に中央口南交差点があるよ」
「それ、分かんないなあ。ほかに何かない?」
「丸ビルがある。中央郵便局も」
「わかった」

数分後・・・

「中央郵便局の 前にいるんだけど、分からないなあ」
「えっ?オレも中央郵便局の前に停まってるんだけど・・・何口から出たの?」
「八重洲口かな。地図で中央郵便局を見つけたから来たんだけど」
八重洲口・・・?違う、ここは中央口だ。確か、そう伝えたはずだ。ぼくは改めて聞いた。
「その中央郵便局って20階ぐらいの建物だよね?」
「いいや、5階ぐらい」
ぼくは、目の前にある郵便局をよく見た。郵便局という文字の下に中央局と書いてあるが “中央郵便局” とは書いてない。なんとまぎらわしいことか。まずい、とちょっとだけ思ったが、ぼくは、そ知らぬふりをして話を続けた。
「分かった。車をどこかの駐車場に入れて迎えに行くよ」
そう言いつつ周りを見ても駐車場らしきものはない。どうしたらいいものか。
「とりあえず、駅の周辺を回ってみるよ」
ぼくは、車を走らせた。東京駅に沿って誰もが分かる建物を探すしかない。それにしても 『中央口』 『丸ビル』 『中央郵便局』 というみっつのキーワードのうち、よりによって中央郵便局に反応するなんてどうしたことか。みっちゃんは、車の免許を持っていないから、東京駅に車で来ることはまずない。ぼく同様、駅周辺の地理に明るいはずがなかった。ふたりとも首都圏に30年以上住んでいながら、東京駅周辺の地図がまったく頭に入っていない。

  目ぼしい建物は見つからず、ちょうど、東京駅の反対側に来た辺りだった。携帯が鳴った。たとえ信号待ちの最中でも携帯を持つことは違反だと知っていたが、ことは緊急を要する。ぼくは電話に出た。

「しんちゃん、今どこ?」
「分かんない。ちょうどさっきと反対側に来たところかな」
「いやあ、困ったなあ」
本当に困った。どうすればいいのか。やはり、車を停めて探しに行くしかないのか。信号が青に変わった。ぼくは、携帯をハンズフリーにしてサイドシートに置き車を発進させた。その瞬間、携帯の小さなスピーカーからみっちゃんの声が響いてきた。

「いた!!いた!!!」
ええっ?いたってどこ?進行方向左に目を向けると、雨の中、みっちゃんが必死の形相で走っている。ベースを担ぎ、カートに大きな荷物をふたつ載せたまま大股で!その様子に拍子抜けしたが、ぼくは、後続の車に気を付けながら車を道路の左側に付けた。

「いやあ、これが、中央郵便局なんだよ」
とみっちゃんが、指差したビルには、確かに 『中央郵便局』 と書いてある。
「中央郵便局はいくつもあるらしいんだ。まぎらわしいなあ」
『言わないでおこう』 ぼくは、言い出しにくい言葉を飲み込んだ。みっちゃんは、どうしてなんだとかぶつぶつ言いながら懸命に車に荷物を詰め込んでいる。
「あのさ、みっちゃん、なんで中央口に出なかったの?」
ぼくは、一番気になっていたことをもっともらしく聞いてみた。
「中央郵便局を見つけたから、しんちゃんが出口を間違えたと思って」
「・・・オレが間違えたと思ったのか・・・なるほどね〜」
堂々と 『相手が間違えたと思って違う出口から出た』 と言う方も言う方だが 『なるほど』 と納得する方もする方だ。こんな感じでふたりとも何もなかったかのように次の話題に移れるのだから、自分たちのことながら恐れ入る。

  時間は12時40分を指していた。大のおとなが東京駅で待ち合わせをして、携帯で何度も連絡を取り合いながら40分も費やしてしまうなんて。まったくもっってはずかしい。同じB型でも、ぼくとみっちゃんとは違ったタイプだと思っていたのは錯覚か。ときどき、このように真剣になればなるほど漫才のようになってしまう。B型同士がなせる業なのかどうかの検証は、またの機会に譲るとして、やじさんきたさんよろしく珍道中は続く。

「いや〜、まいった、まいった」
みっちゃんは、他人事のようにつぶやいている。それでも、ふたりとも原因を明らかにしようなんて気は毛頭ない。さて、館山に向かいましょ、と暢気なものだ。4月14日は始まったばかりだ。  (つづく)

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