伝統基本稽古が終わると、専門的な稽古へと移った。伝統技の基本を何度も繰り返し、約束組手ではふたりが一組になって手技、足技を確認し合う。そして、ミット打ち、組手と続く。ぼくはというと、もちろん見学だ。技術的にできないのは当然としても、その前に、体が動かない、動かせない。伝統基本稽古は稽古といっても準備運動のようなものだ。それなのに半分ほど参加しただけで、体中の筋肉が悲鳴をあげていた。右臀部は攣(つ)る寸前だ。座ることもできない。

  それでも、時間が経つと、少しは落ち着いて稽古を見られるようになってきた。明らかにぼくより年上だと分かる方もいる。女性もいる。小学生だと思われる子どもたちも堂々としたものだ。ぼくも、いつかは皆さんのようになれるのだろうか。ぼくの息が整ってきたのを見計らったのか、竹沢さんが、側に来ていろいろと説明してくれた。まずは、帯の色。増田道場では、黒帯の前に10級から1級まであり、級によって、それぞれ帯の色が違う。これは、他の極真の道場でも同様だという。まずは10級、白帯だ。正確にいうと
10級ではなく“無級”ということらしい。級をもらう前段階という訳だ。まず、道場内外での礼儀や作法を学ぶ必要がある。道理だ。9級はオレンジ帯、日本の色名では表せないようなポップな色だ。オレンジが選ばれること自体が不思議に思われた。オレンジ帯ではなく橙帯の方がしっくりとくる。8級と7級は瑠璃色がかった青帯で、7級の帯には同じ青でも金線が入っている。竹沢さんが指し示した人の帯を見ると、なるほど、青帯の先に7~8ミリ幅の金色の線が刺繍されていた。

  6級と5級は黄色帯、檸檬色(れもんいろ)をした明るい黄色は、お世辞にもかっこいいとは言えない。なんだか弱そうだ。もし、ぼくが入門したとしても、黄色帯なんてはるか先の話なのに、それでも 『黄色は嫌だな』 なんて考えてしまうからおもしろい。しかし、その時のぼくは、既に空手の魅力に心惹かれ、入門が前提となって稽古を見ていた。4級と3級は緑帯。鉄色や萌葱色(もえぎいろ)に近い深い緑だ。ここで、グッと黒に近付く。緑帯からを中級と呼ぶのも然り。緑の帯を締めた人たちの振る舞いには、どことなく、経験者としての落ち着きが垣間見える。そして、2級と1級が茶色だ。茶色と言っても黒に近い黒茶で、洗い古した茶帯は、櫨色(はじいろ)というか、黄櫨染(こうろぜん)というか、上級者が身に着けるにふさわしい。いい風合いだ。ちなみに、5級、3級、1級の帯には、7級同様、金線が施(ほどこ)してある。

  1級を手にすると、目指すはいよいよ黒帯だ。ほとんどの人が1級を取ってから数年の修行を経て、黒帯に挑戦するそうだ。さて、黒帯は流派の代表者である師範から段を授かった人が着ける帯だが“1段”とは呼ばない。あくまでも“初段”なのだ。黒帯を締めてなお“初”という字があてられるというこの“道”の深さ。感動的ですらある。初段とは、『やっと空手を学ぶ準備ができました。ここから本当の修行が始まるのです』 という意味合いを含んでいる。武道の良さはこのようなところにもある。

  人間学の大家・森信三は言った。『人間は40歳までは修業時代で、社会に出て“真”に働くのは、まず、40代から50代へかけてだと言っていいでしょう』 この国では、ほとんどの人が20代前半までに社会に出る。にもかかわらず、それから20年は修業期間だというのだ。そして、『40歳からのために地に潜んで自己を磨くことに専念することが大切です』 と説く。僭越ながら、ぼくもそれに近いことを経験で知った。今思えばだが、自分の音はこれだ、と思えるようになったのは35歳を過ぎて40歳を迎えようとした頃だった。20代前半でプロになったとはいえ、自分の音に納得したことなどなかった。迷い、悩み、時には、自分自身をごまかしもした。一生懸命にやってはいたが、常に大きな壁に跳ね返され、突破口が見つからないまま立ち往生していたと言ってもいい。それでも、それを隠すかのように時には生意気な口も利いた。それがまた、若さということでもあるから、自分の過去を否定はしないが、少しもったいなくも思える。きっと誰もが40歳を過ぎるとこのようなことを感じるのだろう。孔子の言う“不惑”だ。

  初段の黒帯には、金線が1本入っている。2段になると2本、3段になると3本と続く。なにかと世話を焼いてくれる竹沢さんは初段、道場を仕切る若き春吉先生が3段だということが分かった。正面には稽古の責任者である春吉先生が立ち、あとの道場生は先生に相対する。あくまでも帯の色が優先される世界だ。整列時は帯の順に並ぶ。まだ、帯を着けていないぼくは、当然列の最後尾に付く。ぼくから見て、最前列の右から左へ黒帯、茶帯、緑帯と段順、級順に並ぶ。同じ帯ならば入門が早い人が先となる。

  稽古の最後は、腕立て伏せや腹筋・背筋運動等の体力作りで締める。腕立ても腹筋も・・・むむむ、できない。腕立て50回、腹筋50回とやっていたのは中学生のころだ。その時の記憶が少しはできるぞと唆(そそのか)してくるが、30年の年月は脳にではなく肉体に重く圧(の)しかかっていた。前屈をやっても、体は80度ぐらいにしか曲がらない。なんという体(てい)たらく。情けないが、自分の体力の無さを認めるしかない。ぼくは、稽古が終わるとすぐに帰宅し、入会申込書に捺印すると、2ヶ月分の月謝を持って道場へと急ぎ戻った。2006年9月29日、ぼくは、極真会館・増田道場の道場生となった。胸を張って帰りたかったが、足は重く、力は尽きようとしていた。やっとの思いで家へとたどり着いたぼくは、玄関を開け、部屋に入るなり文字通りぶっ倒れて3時間ほど身動きできなかった。 (つづく)

Copyright(C)2013 SHINICHI ICHIKAWA
Home Page Top Essay Top