武道を知らない人が “組手” という言葉を聞いたら、何を想像するだろう。組手とは、空手の稽古のひとつだが、ぼくは、当初、その意味が分からなかった。五人組手とか十人組手とかいう言葉を聞くと、群舞や、あるいは組体操みたいなものを想像していた。道着を身につけた五人、あるいは、十人が並んで、セイッ!っとやるものだと思っていた。

  稽古に参加するようになると、空手用語、武道用語にも少しずつ慣れてくる。組手とはスパーリング、つまり、疑似的な試合のことだった。組手には、決まった手順にしたがって技をかけ合う “約束組手”、自由に打ち合う “自由組手”、勝敗を目的にした “組手試合” 等がある。組手という言葉は、空手に限らず、他の武道や武術、格闘技でも使われるが、独自の言い回しを持つ武道もある。柔道では “乱取り”、中国武道では “散打”、少林寺拳法では “運用法” という言葉を使うそうだ。また、柔道にも “組み手” があるが、柔道の場合は、相手の道着の襟や袖をつかむこと、また、その姿のことで、相手より有利な形になろうと攻防することを組手争いという。なるほど、思い当たる。

  増田道場では、稽古の後半に組手をする。帯順に向かい合って2列に並び、それぞれが目の前の人と1分ほど相対し、終わると相手の左隣の人と交戦する。そのようにして、自分以外のすべての人に対するから、20人いれば自分以外の19人と相対することになる。入門してからしばらくは見学させてもらった。見ていると帯の色によって様子が違う。黒帯の人の組手は確認作業のようで、力を入れずに若い帯の人たちの攻撃をうまくいなしているように見えたが、茶帯や緑帯の高校生、大学生同士の組手となると、本気じゃないのかと思うほど強烈で、こんなことは絶対にできない、と怯(ひる)むほどの凄まじさだ。手にグローブをはめているとはいえ突きや蹴りは強烈で、あたったらひとたまりもないだろう。だが、息を飲みながら見ているのはぼくだけで、他の道場生の皆さんは何食わぬ顔で、ただ目の前の相手に集中している。春吉先生も涼しい顔で部屋全体を見渡していた。

  初心者には、まったく見えなくても稽古を重ねるにしたがって見えてくるものがある。ぼくも、少しずつだが、帯の色が変わるにしたがって分かってきたことがある。彼らは、思い切り打ち合っているように見えるが、自分の力も相手の実力も分かった上で力を入れているのであって、あくまでも稽古の一環なのだ。特に、試合前の組手は真剣度が高い。打たれ強さも必要なのだろう、あえて胸や腹を突いてもらうというようなこともある。白帯の頃は約束組手で参加した。基本的な突きや蹴りを繰り出し、相手にも同じように返してもらう。このようにして、上の帯の人たちの動きを真似、手本にしながら、受け方やかわし方、いなし方を少しずつ覚えて行った。

  それでも、組手に慣れるまで3、4年はかかった。息があがってしまって、最後まで持たないのだ。ちょっと慣れてくると相手も隙をついて突きや蹴りを繰り出すようになる。避(よ)けられないし、かわせないから、当然、突きをもらう。蹴りをもらう。痛いのは当たり前だ。当たる瞬間、とっさに身を構え、腹や胸に思い切り力を入れてしまう。その瞬間、息が止まる。こちらから繰り出す時もそうだ。突く度に、蹴る度に 『ウッ!』 と力を込め、息を止めてしまう。これがいけない。ぼくにとっては “呼吸” が大きな問題だった。組手を始めると次第に苦しくなり、4~5人を過ぎたあたりで顔が蒼くなり、唇が真っ青になってしまう。 毛細血管血液中の還元ヘモグロビン(デオキシヘモグロビン)値が急激に上昇し、チアノーゼ状態になってしまうのだ。呼吸を止めることにより、肺から二酸化炭素が排出されにくくなり、吸い込める酸素の量が少なくなるからだ。

  黄色帯になったころ、緑帯の高校3年生と力を入れてやりあったことがある。稽古中に右の正拳突きをほめられたのをいいことに、組手で試してみようとちょっとだけ大きな気持ちになった。だが、空手の道も甘くはない。右正拳突きは簡単にかわされ、がら空きになったボディに渾身の左下突きを浴びてしまった。相手の左のこぶしがぼくの右脇腹奥深くに突き刺さり肝臓が揺れた。『ググッ!』 ぼくは、うめき声と共に崩れ落ちた。完全にノックアウトだ。呼吸ができない。息を吸おうにも、一瞬、吸う力がなくなってしまった。しばらく休んでから復活して組手の輪に戻ったものの、再びボディに突きを浴びてしまった。結局、この日は2度のノックダウンを喫してしまった。肝臓は数日間ジンジンしていた。ほんの数秒のことだったと思うが、あの苦しさは忘れられない。そんな経験をしたことが引き金になって、無意識のうちに間違った防御態勢を取るようになってしまったのかもしれない。『ウッ!』 『ウウッ!』 と力を入れる度に呼吸が止まり、ぼくの血中の還元ヘモグロビン値は上昇し続けた。

  さて、ではどうしたらいいのか。答えは簡単だった。“息を吐ききる” ことだ。打つ瞬間、あるいは、打たれる瞬間に力を抜いて 『フウウッ~』 と息を吐ききればいいというのだ。簡単といっても理論上、理解できるというだけで、実際にできるかと言ったらむずかしい。打たれる瞬間に力を抜くなんて、当時のぼくには考えられなかった。打つ時はまだしも、打たれる時に力を抜くのには勇気が必要だ。あれこれ指導を受けながら、稽古を、始めから終わりまで通してできるようになったのは4年目ぐらいからではないだろうか。4年をかけて少しずつ呼吸を覚えてきたのだろう。ただ、7年目の今は完璧にできるかと問われれば、答えはノーだ。それに近いことはできるようになったとは思うがまだまだ先は長い。

  人は、苦しくなると息を吸おうとする。しかし、大事なのは、吸うことではなく吐くことだった。吐ききれないうちに吸おうとしても肺には残った二酸化炭素が充満しているから酸素が入る余地はない。吐くことに意識すれば、人間の体は自然に吸い込む、というのだ。

  呼吸ができずに唇を真っ青にしていたころ、忘れられない出来事があった。青帯か黄色帯だったころの話だ。組手の最中、苦しくて息ができなくなったぼくは、いつものように組手の輪からはずれ、道場の窓にもたれかかっていた。窓枠に腕を乗せ、その腕に額を押し付けて 『はあはあはあはあ・・・』 と苦しさに耐えていた。そんなとき、誰かがぼくの腰をトントンと軽く叩いた。その手は 『だいじょうぶですか、がんばりましたね』 と優しく語りかけていた。思いやりと慈愛にあふれた手のひらだった。春吉先生か、竹沢先輩か、あるいは黒帯の先輩方の誰かか・・・。ありがたいなあと思ったが、苦しくて一言も発せられない。それでも、ぼくは、ありがとうございますという気持ちを表そうとゆっくり振り返った。

  ぼくの視線の先は大人の顔の位置に向かったが顔がない。おや、と思って視線を下げるとそこには、小学生の男の子が立っていた。丸坊主の5年生が頬を真っ赤に染めながら満面の笑顔で微笑んでいる。なんと・・・。一瞬、時間が止まり、ぼくの心は温かさで満ちた。感謝の微笑みを返したかったが、苦しくてそれもできない。ぼくは、彼の目を見て2度うなずいた。  (つづく)

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