2015年10月19日、実家で朝を迎えた。時計を見るとまだ6時だ。前の晩、早く寝たからだろうか。もう少し寝たいなと思いつつも、お腹がいい感じで減っている。『よしっ!』と思い切って起きることにした。階段を下りて行くと味噌汁のいい匂いが漂ってくる。ぼくが大好きな大根の味噌汁に違いない。シメシメと舌なめずりをしながら顔を洗い、服を着こんだ。そして、居間でお茶を飲んでいた父と、台所の母に向かって「散歩に行ってくるね」と声をかけて外に出た。

  なんて気持ちのいい朝なのだろう。空気がきらきらと輝いている。今年は、ここ数年に比べると秋が長く感じられる。貴重な秋の一日の始まりだ。当然のように、足は栗山川へと向いた。栗山川は変わらずに悠然と流れていた。いつもは川沿いを太平洋方面へと向かうのだが、この日に限っては逆方向に行ってみようという気になった。川を左に見ながら北上する。川縁(かわべり)に生い茂る雑草も趣があっていいな、などと思っているうちにすぐに県道に着いてしまった。あっという間だ、こんなにも近かったのか。時の流れは、距離まで短くしてしまうのか。子供の頃の印象がどれほど大きなものか、実感せざるを得ない。調べてみると、この県道には108号線という名が付いていた。正式名称は『千葉県道108号横芝停車場白浜線』という。総武本線横芝駅から海水浴場として知られる木戸浜海岸近くの交差点までのわずか数キロの道のりだ。知らなかった。知ろうともしなかった。それにしても、108とは、またすごい数字だ。煩悩の数であり、数珠の珠の数であり、除夜の鐘が撞(つ)かれる数だ。また、水滸伝に登場する百八星(豪傑)の数であり、野球の硬式球の縫い目の数でもある。

  108号線は栗山川にかかっている橋を通る。橋と書いたところで、再び考え込んでしまった。橋の名前を知らない。橋の名前は何というのだろうか。生まれてから18年も住んでいたのに、生まれてから54年も経ったというのに、目の前にある橋の名前も知らないなんて、なんということだ。日常とはこんなものなのか。灯台下暗しとはよく言ったものだ。人間は盲点だらけなのだな、とつくづく思う。そしてまた、それだからいいのだな、とも思う。108号線をしばらく歩いてみた。ここ数十年、車で通ることはあっても歩くなんてことはなかった。かつての光町唯一の商店街(とは言っても10店ほどしかなかったが)は、見る影もない。『向後時計店』『林田寝具店』等、看板だけがそのままだ。町の中心だった橋場交差点も、どこにでもあるただの交差点になっていた。通っていた中央保育園も移転してしまったが、その場に立つとたくさんのことが思い出された。教室の佇まい、先生の顔、運動場、遊具の数々。宝のような日々だった。

  ぼくが子供の頃は、川沿いの道は県道へは通じていなかった。林の中の細い1本道をくだり、田んぼのあぜ道を行った。この道は、今では車が通れるほどの広さになったが昔のおもかげは残っている。栗山川に注ぐ小川がある。この小川に、最初に橋をかけたのは父だ。保育園の頃にその話を聞いてどれだけ誇らしかったか。小川に板の橋を架けただけかもしれないが、橋ひとつで生活環境は大きく変わる。そんなことを、この道を歩いて久しぶりに思い出した。そして、もうひとつ、思い出したことがある。この林でのことだ。小学校1年生の頃だったか、近所に住む札付きの上級生に連れ回されたことがあった。友だち数名も一緒だった。暗くなって帰りたいと言っても「だめだ!」と帰してくれない。その上級生が怖くて怖くて、誰もそれ以上言葉を発せない。そのうちに雨が降ってきた。心細くなってきた。寒い。暗い林のなかで小雨に濡れながら時間だけが過ぎて行く。どうなってしまうのだろう。不安がピークに達したころ、突然母たちが現れた。ぼくは、母の姿を見つけた瞬間に駈け出し、全速力で胸に飛び込み、縋(すが)り、泣きに泣いた。当時の母は、ぼくの2倍以上あった。大きかった。頼りがいがあった。その存在感は、今でも変わらない。あの時の不安感、雨の音、寒さは忘れることができない。この林に来るたびに思い出すことだろう。

  散歩の最後に、38歳で亡くなった親友の墓参りをした。彼とは、保育園から東陽小学校、光中の野球部まで一緒だった。地元にとっても大切な男だった。後輩たちから絶大な信頼を得、祭を取り仕切り、町の中心となって働いていた。明日から新婚旅行だというときに交通事故に遭った。彼がゆっくりと交差点に差し掛かった時、猛スピードの盗難車が突っ込んできた。即死だった。ぼくたちの哀しみはあまりにも深かった。『オレたちも54歳になった。一緒に歳を重ねられたらどんなによかったか。オレは、まだまだこれからだ。オレのこれからをどうか見守ってくれ。力になってくれよ』と語りかけた。何かあったら、きっと、助けてくれるだろう。

  “歩”という漢字は“右足と左足の足あとの形を前後に連ねた形”で成り立っており、『足を地に接して歩くことは、その地の土地の霊に接する方法であり、重要な儀礼の式場に向かうときは歩いて行くのが地霊に対する礼儀であった』(白川静:常用字解より)とある。秋のよき日に、当たり前の場所をじっくりと歩いてみることの大切さを知った。散歩から帰った後の朝ご飯がうまかったことは言うまでもない。 (了) 

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