2016年4月20日、ぼくは55歳になった。朝、母から恒例の電話が来る。「誕生日おめでとう」「ありがとう」これだけの会話だが気持ちは十二分に伝わっている。ぼくは、イベントの日は、なるべく普通に、静かに、過ごしたいと思う方で、特に誕生日などは何気なくやり過ごすのがいい。朝起きて、新聞を読んで、散歩して、本を読んで、ご飯を食べて、ああのんびりした、っていうのが理想だけれど、そうもいかない。今年の誕生日は昼からリハーサルがあり、夕方からレッスン、その後、知り合いのバンドのリハーサルに付き合うことになっていた。

  19日から背中がやけに痒いなと思っていたのだが、20日になると、痒いのが体全体に広がっている。掻いたところを見てみると、赤く膨れ上がっている。蕁麻疹(じんましん)だ。すぐに、蕁麻疹のことを調べてみた。食べ物に対するアレルギーで起こる以外に要因はたくさんある。温度、風邪、日光、汗、ストレス、薬、細菌、ウイルス、等々・・・。原因は分からない。昨日の昼ごはんで焼き鮭を食べたことは食べた。川魚でアレルギーを起こしたことはある。しかし、30年も前のことだ。新しい薬を飲んだ覚えはないし、それほどのストレスを抱えていたとも思えない。とにかく、皮膚科に行ってみよう。

  14時にリハーサルが終わると皮膚科を検索し、近くにある医院に行ってみた。午後の診療は15時からだ。14時40分頃に中に入った。まだ、数人だろうと高をくくっていた。ところが、待合室には、若い女性が30人ほどいた。あとで聞いたのだが、この皮膚科はニキビ治療で有名な医院だった。ベースを持って入るとほぼ全員の目が一斉にぼくに注がれた。あきらかに場違いだ。『あちゃ~・・・』何だかやりにくいがしょうがない。堂々としている以外にないではないか。受付で「2時間ぐらい待ちますか?」と聞くと、「いいえ、30分ほどで」という答えだった。椅子に座って見ていると、待っている人の半数は薬をもらいにきただけだということが分かった。案の定、番号はすいすいと流れ、あっという間にぼくの番が来た。ベースを置く場所はないから、ベースを抱えて診療室に入った。

  「どうしました?」「蕁麻疹だと思うんですが」どれ?ぼくは、Tシャツをまくり上げた。「あぁ、分かりました。かなりいい薬がありますから出しておきますね。効かなかったら
また来てください。」早くも診療終了の雰囲気だ。わすか、数十秒。順番が早くまわってくる訳だ。先生の“かなり”という言葉が少々気になったがそこは流して、『ハイ終わり!』の雰囲気を壊す形でぼくは尋ねた。「あっ、先生、原因は何でしょう」ほとんどの人がこう聞くのだろう。先生は間髪入れずに答えた。「皮膚科では90%、原因が分からないんです。」90%は大袈裟だろうと考えながらも、そんなものかなと納得もできた。蕁麻疹やアレルギーの原因は特定できないほど多種多様で、追及するには時間がかかるのは理解できる。肉体的要因と精神的要因が重なっている場合もある。どんな状況であっても蕁麻疹の原因を特定するのはむずかしいだろう。とりあえず、今日のところは原因を追究するほどのことでもないと判断して、席を立った。

  待合室で待っていると名前を呼ばれた。薬が2袋用意されている。ひとつ目の袋には『ニポラジン』と『オロパタジン』が入っていた。それぞれ『ニポラジン』(抗ヒスタミン薬・アレルギー・蕁麻疹・湿疹)、『オロパタジン』(アレルギー治療薬)と書かれている。これを1日2回、朝夕食後に1錠ずつ飲む。薬剤師さんは「良くなってきても薬は最後まで飲んでくださいね」と付け加えた。そして、「もし、もし、この2錠を飲んで“良くならない場合”また“悪化”した場合にはこちらを飲んでください。眠くなるので運転等は注意してくださいね。」といろいろと念を押されて渡されたのが『セレスタミン』(抗炎症作用・かゆみ止め)だった。袋には赤文字で『悪化時』と判が捺してある。その言い方と雰囲気だけで、これだけは飲みたくないと感じるのも当然だろう。こんな時、人間は楽観的に考える。ぼくも最初の2錠だけですぐに良くなるだろうと決めつけてそそくさと医院を後にした。

  ところが、3日経っても効かない。効かないどころか、痒みは増す一方で掻いた痕が目立つようになってきた。いよいよその時だ。禁断の薬を使う時が来た、と覚悟を決めたはいいが、ひとつ聞き忘れたことがあった。先の2錠をどうするかということだ。この2錠を飲みながら第3の秘薬を飲むのか、この2錠は飲まずに秘薬を飲むのか。時は土曜日の午後だ。電話をするにも土日は休みだ。さあ、困った。薬をもらうときに確認すべきだったと後悔しても遅い。3錠を一緒に飲んだ場合、どうなってしまうのか。なにしろ、そのうちの1錠は赤文字の秘薬だ。ぼくは、考えに考えた挙句、先の2錠を止めて、秘薬だけを飲むことにした。昼間に眠くなっては困る。夜まで痒いのを我慢して、意を決して飲んだ。これで明日の朝はスッキリしているはずだと自分に言い聞かせて。

  ところが、朝は痒みで目が覚めた。秘、秘薬が効かなかった。最悪の時に飲むようにと言われていた薬を飲んでも効かないなんて、ぼくは少なからず焦った。やばいぞ、この蕁麻疹は一体なんなんだ。腕、脇の下、指、背中、足、体全体が、掻けば掻くほどに痒くなる。月曜になったら医院に電話しようと決め、日曜日は『あさいち』ライブに集中した。

  ところが、月曜日の午後電話をしたが通じない。診察券を見てみると月曜日は午前の診療のみではないか。寝坊したぼくは唇を噛んだ。結局、この日も秘薬1錠のみをのんだ。火曜日、満を持して電話をかけた。すると、先の2錠を飲んだ上に更に秘薬(※医院の方は秘薬とは言っていません)を飲むとのことだった。「秘薬は酷い時にだけ飲んでくださいね」という。し、しまった。「今から最初の2錠を再開してもだいじょうぶでしょうか」「はい、だいじょうぶです」やけに簡単に言う。

  3錠は一緒に飲んでもいいものだったのだ。ぼくは夜を待たずに3錠一緒に飲んだ。薬が効いたのか少しずつ落ち着いては来たが、一向に眠くならない。そういえば、ぼくは風邪薬を飲んでも眠くなることがない。逆に、寝る前にカフェインを取っても目が冴えてしまって眠れなくなるということもない。そして、数日、薬が効いたのか自然治癒だったのか分からないまま蕁麻疹はおさまり、おさまった後の今日(5月1日)も残った先の2錠を飲んでいる。

  55歳と共に訪れた蕁麻疹は一体なんだったのだろうか。こと体については、些細なことでも甘くみてはいけないことは分かっている。無理が効かない歳になってきたのも分かっている。今まで以上に1日1日を大切にしていかなければいけないということだ。始まったばかりの55歳を深みのある年にしようと思う。 (了)

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