もやもやとした春の鈍風が去り、すっきりとした青空が日本列島を覆っている。梅雨入り間近のこの季節は、何とも言えずに心地いい。今も部屋の窓を開け放ったままパソコンに向かっているのだが、全開の窓からは時折、気持ちのいい風が通り抜ける。

  数年前から花粉症に悩まされるようになった。おかげで、二月後半から四月にかけての数か月は、なんとなく調子が悪い。好きな季節であった春が、ちょっとだけ憂鬱に感じられるようになってしまった。言葉を変えると、“幻想的”な季節になったとも言えるのだが、頭がすっきりしないのは困る。

  「なんとなく調子が悪い」と書いたが、ぼくは、定期的にレッスンをしている若者に「調子はどう?」「どう?調子は。」等と声をかける。意識している訳ではなく自然と口をついて出てくる言葉なのだが、そう言いながらも、「“調子”って言葉、おもしろいな」と常々感じていた。日本語には、何気なく使っていながらにして、奥深い言葉がたくさんある。“調子”もそのうちのひとつだと言えるだろう。

  ぼくの机には、角川『書道字典』をはじめ、国語大辞典『言泉』『大辞林』『常用字解』『現代俳句大事典』『語感の辞典』『漢字典』『語源辞典』『古典基礎語辞典』等々が並んでいて、気になった言葉をすぐに調べられるようになっている。ロックミュージシャンらしからぬと思われるかもしれないが、一度でも作詞をしたことがある人なら分かるはずだ。同じ意味でも使う言葉によってニュアンスが変わったり、選ぶ漢字によって意味がより深くなったりする。ソングライターならば誰もがこのような経験をしたことがあると思う。昨今は、パソコンやスマホで何でも簡単に調べられるようになった。それでも、辞書の“重み”や紙の“手触り”は格別で、ページをめくるときの音さえ癒しとなる。

  漢字には“文字”自体に意味がある。漢字と大和言葉を融合させた日本語は、言葉そのものが芸術だと言ってもいい。なんといっても、言の“葉”だ。言語を“葉”と結びつけてしまうこの趣(おもむき)、このセンス。日本人として胸を張らずにはいられない。思えば、万葉集や古今和歌集が生れたのは千年も前のことだ。当時から日本語は芸術としての側面を持っていた。少ない言葉で、絵のような文字で、多くの思いを伝えてきた。

  調子という言葉を『大辞林』で調べてみた。調は“しらべる”でもあるんだな、と改めて納得する。

【調子】
① 動いたり働いたりする具合。かげん。「機械の調子が悪い」
② その場の成り行き。状況。「行ってみての調子次第」
③ 態度や口調にあらわれる気持ちや身体の具合。「いらいらした調子で話す」「けだるそうな調子で立ち上がる」
④ はずみ。いきおい。「勉強にも調子が出てきた」「調子に乗る」
⑤ 音律の高低。調または施法。雅楽の六調子など。調弦法。三味線の本調子・二上。三下、筝(そう)の平調子・雲井調子など。
⑥ 雅楽で、一種の前奏曲。舞楽で用いられ壱越(いちこつ)調など各調に調子があり、雰囲気を出すために奏される。
⑦ 文の表現の仕方。言葉のもつ感じ。格調。「雄荘な調子の詩」「志を高い調子で述べた文」
⑧ つりあい。バランス。「調子を乱す」

  驚いたことにこれだけの意味がある。他にも「調子がいい」「調子に乗る」「調子を合わせる」「調子を取る」等々、ぼくたちは調子という言葉を様々な場面で使っている。上の⑤や⑥のように“調子”には音楽用語としての意味もあるが、その他の意味も音楽に通じるようなものばかりだ。①~⑧の例文の中の“調子”を“リズム”に変えて読んでみよう。

  「機械のリズムが悪い」「行ってみてのリズム次第」「いらいらしたリズムで話す」「けだるそうなリズムで立ち上がる」「勉強にもリズムが出てきた」「リズムに乗る」「雄荘なリズムの詩」「志を高いリズムで述べた文」「リズムを乱す」・・・。調子が付く言葉も同様にしてみる。「リズムがいい」「リズムに乗る」「リズムを合わせる」「リズムを取る」・・・。

  微妙なものもあるが、ほとんどの文が成り立つ。調は、また、「ハ長調」「イ短調」のように音階の主音の高さを指定する用語でもある。更に、「七五調」「万葉調」のように名詞の下に付いて、そのようなリズム・スタイル・雰囲気であることを表すこともある。このように“調子”とは、“リズム”(運動)が基にある行為や行動、状態や感じを言葉にしたものではないだろうか。

  たまたまだが、ぼくは、調布に住んでいる。調布の名の由来はこうだ。『調』とは、律令制の租税のひとつで、諸国の産物を中央に納めるものだった。元来、この地ではいい布が織られていた。調として布を納めていたというところから『調布』となった。調布市の多摩川沿いには『染地』や『布田』等、布にちなんだ地名が残っている。

  “調子”の“調”という言葉には“ととのう”、“やわらぐ”という意味がある。“和”という言葉と合わせて“調和”となる。つり合いがとれる、バランスがいい、という意を成す。“調子”は“リズム”であり、“リズム”は“鼓動”だ。鼓動を整える、鼓動をやわらげる、ということだ。毎日を穏やかに過ごしていきたいと思う。 (了)

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