多くの人と同じようにぼくもコーヒーを飲む。家にいるときはコーヒーメーカーを使うが、豆を自分で挽くほどの通ではない。店で挽いてもらって粉になったものを買ってくる。外に出たときはコーヒーショップや(最近は希少価値的存在となった)喫茶店でもコーヒーを注文する。当然、コンビニのコーヒーも利用する。セブンカフェの登場以来、コンビニで買える100円コーヒーは大ヒットを飛ばしているが、正直、おいしい。まだまだ店舗によっての味の“ばらつき”はあるものの100円で買えるのだ、文句はない。セブンイレブンだけではない。ローソンだって、ファミマだって、ミニストップだってがんばっている。

  ぼくたちが10代の頃、コーヒーは“コーヒー牛乳”の延長だった。1969年に発売された缶コーヒー“UCCコーヒーミルク入り(現在のUCCミルクコーヒー)”もその点を忠実に守っていた。UCCが開発したこの世界初の缶コーヒーには、たくさんの砂糖とミルクが入っていた。当時のぼくたちにとって、コーヒーとは“甘い”飲み物だったのだ。1975年には、利根コカコーラボトリングから“マックスコーヒー”が発売された。今では関東他県、東京、東北、北陸でも買うことができるが、当時は、千葉県と茨城県でしか買えなかった。(限定販売だったと知ったのは何年も後のことだ。1978年からは栃木県でも売られるようになった。)このコーヒーがとてつもなく甘い。どんなに懐かしくても口にする勇気が出ないほどの甘さだが、売れ続けているというのだから侮れない。UCCのミルクコーヒーも健在だ。当時と同じデザインで店頭に並んでいる。ぼくたち高校生にとって、コーヒーは大人の飲み物だった。コーヒーを飲むことでちょっとだけ大人の気分を味わっていた。

  1980年、大学に進学し吉祥寺に住んだ。ロック研(AMP)に入会し、バンドに加入した。『L♂♀VE』は、吉祥寺YAHAMA“Take1スタジオ”主宰の“サロンコンサート”に出演するようになった。毎週開かれていたこのコンサートには、デビュー前の『角松敏生』浜田麻里率いる『Misty Cats』『Sexy Money』『Men’s 5』『ギャオス』『EXPRESS』等、錚々たるバンドが出演していた。多くのプロミュージシャンを輩出した素晴らしいイベントだった。東京で初めてライブをしたのも、初めてレコーディングしたのもTake1スタジオだった。吉祥寺Take1での思い出は尽きない。

  ある日、サロンコンサートの客席で女性と知り合った。歳はふたつ、みっつ上だったろうか。大人びたスレンダー美人だった。ストレートのロングヘアーでロングブーツがまぶしかった。数日後、彼女とふたりで喫茶店に行く機会があった。19歳のぼくは、ドキドキで文字通り舞い上がっていた。店は、アーケード街の地下にあったコーヒーロードだ。ふたりともコーヒーを注文した。ぼくは、出てきたコーヒーにいつものように角砂糖をふたつ入れ、ミルクをたっぷりと注いだ。彼女もそうするとばかり思っていた。ところが彼女は、何も入れずにコーヒーを口にした。ぼくは、驚いて言った。「何も入れないで飲むんですか?」「えっ?そうよ、コーヒーの味が分からないじゃない。」ぼくは、一気に恥ずかしくなった。何だか、子ども扱いされているような気分になった。角砂糖ふたつとミルクのおかげで、この日のぼくは、まったくいけてないミュージシャンだった。以来、ぼくはコーヒーをブラックで飲むようになった。

  コンビニで買うコーヒーは紙コップで飲む。紙の匂いや味はほとんど感じられないから、その辺りはぬかりなく研究されているのだろう。ドトールやタリーズ、ベローチェ等のコーヒーショップでも紙コップは使われる。テイクアウトや大きなサイズの場合がそうだ。お店で飲むときは、コーヒーは、基本的に“カップ”に入れられる。一般的なスタイルのコーヒーカップは、紅茶用のティーカップと比較して口が小さく、カップの上下での幅の違いが少ない。これは、コーヒーの香りが飛んでしまうのを抑え、コーヒーが冷めるのを防ぐためだと言われている。カップは“ソーサー”に乗せられて出てくる。そして、ほとんどの場合、ティースプーンが添えられている。カップ&ソーサーと言われるように、カップとソーサーは切っても切れないものだ。絵柄や模様もカップリングでデザインされているものが多い。

  困ったことにぼくはソーサーが苦手だ。いやいや、ソーサーが苦手なのではない。カップとソーサーが触れ合う時の『カチャ』という音が嫌いなのだ。更に、ソーサーに乗っているティースプーンの『カチャカチャ』『カチャカチャ』という音もダメだ。誰でも苦手な音がある。ぼくにとっての疎ましい音のひとつが、カップとソーサーが触れた時の音なのだ。カップがソーサーに乗せられて出てくると、一口飲んだ後、無意識のうちにカップをテーブルの上に置いてしまう。たいていの場合、テーブルは木でできている。カップと木があたる『コツッ』という音は、どちらかというと心地いい。だから、カウンターでコーヒーを手渡されるときなどは、コーヒーカップだけを受け取るようにしている。

  それに比べて、マグカップはいい。ソーサーは付いていないし、たっぷりと入る。コーヒーカップとマグカップは似て非なるものだ。ぼくにとっては、安定性に優れる寸胴(ずんどう)のマグカップの方が好ましい。スターバックスコーヒーは値段が高いこともあって足を運ぶのは稀だが、さすがにアメリカ生まれ、マグを使っているところには好感が持てる。

  今では慣れきってしまって何の違和感も感じないが、初めて黒い飲み物を目の前にしたときはドキッとした。そういえば、甘いもの好きのオーストラリア人の友だちは餡子が苦手だという。色が馴染まないというのだ。黒い液体は世界中で飲まれている。巷では、健康に良いだの悪いだの、1日何杯までならいいだの悪いだの、話題にはことかかない。一流ホテルのコーヒーは一流ホテルなりの、コーヒーショップのコーヒーはコーヒーショップなりの、コンビニのコーヒーはコンビニなりの味があり、それぞれがそれぞれの持ち味を発揮している。これからもTPOに合わせてそれらの味を楽しんでいきたい。

  江戸時代にオランダ人によってコーヒーが日本にもたらされると、オランダ語の“koffie(コーフィー)”という発音に対して『可非』『可否』『黒炒豆』等いろいろなあて字が使われた。その中で、今でも使われる『珈琲』という字をあてたのは幕末の蘭学者“宇田川榕庵”だと言われている。『珈』は髪に挿す花かんざしを、『琲』はかんざしの珠をつなぐ紐を表しているそうだ。コーヒーの木に実った赤い実が、当時の女性たちが髪に飾っていたかんざしに似ていると感じたところからの発想らしい。うらやましいほどの感性だ。字のバランスも素晴らしい。宇田川榕庵は、西欧の植物学や化学の書物を翻訳し、細胞、酸素、水素、窒素などの訳語を作った人としても知られている。それまでの日本に存在しなかった物や概念を漢字で表現するその知見とセンスには驚くばかりだ。知的好奇心や想像力にあふれた人だったにちがいない。宇田川先生を見習って、毎日を心豊かに過ごしていきたいと思う。 (了)

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