2016年9月1日、久しぶりに目覚まし時計を使わずに起きた。ぼくにとっての1日だけの夏休みだ。ボーっとしたままご飯を食べて新聞を読み、近くのクリーニング屋に行って洗濯物を受け取り、スーパーに寄って、週末に行われる地下室の会ライブの打ち上げ用おつまみを買った。いつもの打ち上げでは料理を用意してもらうのだが、今回は60回目の記念ライブだ。打ち上げ参加者が何人になるか見当もつかない。とりあえず、お店の方には飲み物だけを用意してもらうことにした。

  地下室の会ライブは、プロベーシストの団体『地下室の会』主催のライブで、企画、運営、宣伝等すべてを我々ベーシストが行っている。第1回目のライブは、2000年3月26日だった。それから16年、休まずに続けてくることができた。ベーシスト仲間、ミュージシャン仲間、そして、会場に足を運んでくださる観客の皆さんに心から感謝したい。記念すべき60回目のライブは熊本と大分の復興支援ライブだ。出演ミュージシャンは総勢30名(メインステージ5組、サブステージ3組、高橋竜司会によるチャリティーオークション)、スタッフを合せて全員がノーギャラで参加してくれる。ライブの収益金、会場での募金、チャリティーオークションでの収入、全額を被災地に寄付することになっている。少しでも多くの支援金を届けたい。思えば、2012年9月30日に調布市文化会館たづくり『くすのきホール』で行われた50回記念ライブも東日本大震災復興支援ライブだった。台風の中、507席の会場は満席となった。

  打ち上げ用のおつまみを買って家に帰ると、テレビをつけて溜まっている録画ビデオをチェックした。そのまま目ぼしい番組を見ていると夕方になった。時計は5時半を指していた。さて、エッセイの続きを書こうか、と机の前に座り窓を開けたその時、けたたましい蝉の声が聞こえてきた。瞬間的に、小学生の頃の思いが蘇ってきた。夏の終わりの寂しさが、晩夏の夕暮れの虚しさが、去りゆく夏休みへの愛惜が蘇ってきた。暮れゆく8月、暮れゆく1日、暮れゆく夏休み。子供ながらに何とも言えない侘しさを感じたその瞬間を、思い出した

  小学生の頃は、夏休みが長かった。40日間は、とてつもなく長かった。夏休みの3、4日前から半日授業になると、すでにわくわく感で胸が一杯になった。夏休みは朝6時半から始まるラジオ体操で幕を開けた。近所の小学生が近くの公園に集まり、NHKラジオから流れるラジオ体操第1に合わせ眠い体を動かした。出席カードにスタンプを押してもらうと遊びの時間の始まりだ。子供には暑さなんて関係ない。宿題は後回しだ。ぼくたちは、お昼ご飯を食べに帰る以外は時間の許す限り遊んだ。エネルギーは有り余っていた。あの頃はなぜ、1日が、夏が、あれほど長く感じられたのだろう。

  今とは、比較する気にもならない。春夏秋冬を経験するのは、今年で55回目だが、この55回という経験が、1日を、1年を、短く感じさせるのだろうか。先を見越すということに慣れてしまったということなのだろうか。先を見ることは大事だ。けれども、時には、子供の頃のように、後先のことを考えずに今日という1日に全力で立ち向かう、ということも必要なのかもしれない、とふと思った


  2016年の夏といえばオリンピックだ。8月5日から21日までの17日間、ブラジルのリオデジャネイロで行われた大会は、南アメリカ大陸、そして、ポルトガル語圏で開催される初めてのオリンピックとなった。ブラジルとの時差は12時間、昼夜が完全に逆転している。ぼくたちミュージシャンは絶対的に夜型が多い。ご多分に漏れず、ぼくも、深夜まで起きているのが当たり前になっている。生活習慣を考えると、まるで出鱈目で困ることも多い。それでも、朝6時まで起きているのは稀だ。ぼくは、オリンピックの熱戦をなるべくリアルタイムで観たいと思った。時には5時まで、時には7時まで、眠気と戦いながらも見続けた。

  日本選手団の活躍は見事だった。柔道、水泳、レスリング、体操、卓球、テニス、等々・・・。感動の毎日だった。あげればきりがない。バドミントン界初の金メダル、復活を遂げたシンクロ、初めてメダルを取ったカヌー、初出場だった7人制ラグビー、32年ぶりの出場を果たした水球、女子バスケットも大健闘だった。もっとも印象に残ったのは、陸上男子400メートルリレーの銀メダルだ。陸上の短距離走は、身体能力によるところが大きく、アジア人は不利とされてきた。事実、日本では10秒を切ったランナーはまだひとりもいない。補欠の選手を合わせて6人は0.01秒縮めるための努力を重ねた。その結果の銀メダルだった。

  このオリンピックを通じて、極限での戦いの凄まじさを何度も目の当たりにすることができた。日本が獲得した41個のメダルはうれしいが、メダルを取った選手も取れなかった選手も本当に良くやったと思う。この機会に、オリンピックに出られるだけでもすごい、ということを改めて確認しておきたい。そして、何よりよかったのは、オリンピックを通じて、日本の若者たちのたくましさや芯の強さを再確認できたことだ。未来の日本を託すべき素晴らしき若者たち、彼等がいるならば日本はだいじょうぶだ。

  フェンシングの太田雄貴と卓球の石川佳純が初戦で敗れ、柔道で女子52キロ級中村美里と男子66キロ級海老沼匡が銅メダルを獲得した8月8日(日本時間)、この日も、ぼくはオリンピックを見続けていた。朝7時を過ぎて頭はすでに朦朧としていた。するとNHKのBSでメジャーリーグのマーリンズ戦が始まった。3,000本安打まであと1本で苦しんでいたイチローが先発出場していた。ここまで起きていたのも何かの縁だとぼくは試合を見続けた。そして、ついにその時がやって来た。7回の第4打席、イチローが放った打球はライトフェンスを直撃する3塁打となった。待ちに待ったメジャーリーグ通算3,000本安打達成だ。その瞬間を見届けることができたのは幸運だった。9月1日現在、外野のレギュラー選手スタントンの怪我によりイチローが試合に出る機会は増えた。だが、あくまでも第4の外野手としての出場だ。イチローに対するマーリンズのこの起用法にはどうしても納得できない。どこでもいい、イチローをレギュラーで使ってくれるチームはないものだろうか。

  2016年も残り3分の1となった。これからもしばらくは休みのない日が続くが、小学生時代の夏休みのように、1日1日を全力で走り切りたい。そんなことを思う55歳の夏休みであった。 (了)

Copyright(C)2016 SHINICHI ICHIKAWA
Home Page Top Essay Top