ぼくたちミュージシャンの多くは個人事業主であるから、月々の決まった給料というものはない。当然、ボーナスや退職金もない。レコーディング、コンサートでの演奏によるギャランティーや楽曲の印税、楽器のレッスン代等が主な収入源で、その額は多かったり少なかったり、少なかったりもっと少なかったりと、決して安定しているとはいえない。大事なギャラが飲み代やギャンブルの賭け金に変わってしまうというのもよくある話だ。もっともこれは個人レベルの節度の問題でもあるが、ミュージシャンは生活の保障という面でも、間違いなく、覚悟がないとやっていけない職業のひとつだ。ギタリストやベーシストの場合、たまにまとまったお金が入るとすぐにギターやアンプに変わってしまう、ということがよくある。ギタリストやベーシストの“性(さが)”とでも言うべきか、一種の職業病みたいなもので、たくさん持っているからいいじゃないか、という訳にはいかない。

  根っからのミュージシャンの楽器に対する憧憬と探求はいくつになっても変わらない。そんなミュージシャンは、新しい楽器(中古も含む)に対するアンテナを常に張りめぐらせ、“いい音”をどこまでも追求し続ける。いい楽器を手にすると、瞬間的に一体感が生まれる。楽器が体の一部になるような感覚だ。この一体感は肉体と楽器がイーブンの関係にあるときにしか生まれない。

  さて、“いい音”とはどのような音のことをいうのだろうか。“いい音”とはひどく曖昧な表現で、どんな音を“いい音”と感じるか、には個人差がある。年齢もあるだろう。男女差もあるかもしれない。音楽を聴くときの精神状態にもよるだろう。生き方にも関係しているはずだ。“いい音”に物理的な条件があるとするならば、例えばベースの場合、まずは、ボディやネック等の“材”がいいものであることが大切だ。“いい音”とは、心地よい振動を生み出すことに他ならないからだ。ボディとネックの上に張られた弦を気持ちよく振動させるには、弦が持つポテンシャルを最大限に引き出すタッチと、その振動をボディやネックに最大限に伝える方向性(力の向き)の正確さが求められる。左手のしっかりした“押さえ”と右手の繊細な“ピッキング”によって、楽器全体を共鳴させる。その共鳴から生まれた豊かな振動が味わい深い音へと繋がる。もちろん、“いい音”は、音楽だけには限らない。小川のせせらぎ、雨の音、風の音、森の音、風鈴が鳴る音、落ち葉の上を歩く足音、等々・・・。人を心地よくさせる音は限りなくある。そんな自然が生む美しい音に少しでも近付こうと、ぼくたちは日夜楽器と向き合う。

  多くの人が“いい音”だと感じる音楽はある。ただ、有名なプレイヤーだけがいい音を出しているとは限らない。一般的に知られていなくてもいい音を奏でるプレイヤーはたくさんいる。それは、プロ、アマを問わない。ただやはり、キャリアは嘘をつかない。30年、40年と音楽の世界の荒波を乗り越えてきた人たちの経験こそが宝だ。続けていると、知らず知らずのうちに“凄味”が出てくる。その凄味がひと味、ふた味と加わりより深い音を生み出す。音は心そのものだ。生きざまそのものなのだ。生涯を音に賭けたミュージシャンと選び抜かれた楽器が生み出す音を、ぜひ、ライブ会場で聴いてほしい。心ふるわす“いい音”を生で聴いてほしい。そう願わずにはいられない。

  冒頭で、ミュージシャンの収入は不安定だと書いたが、ミュージシャンならではの特権もある。ライブやコンサートの多くは木曜日から週末にかけて行われるから、必然的にオフは平日ということになる。これがいい。中央高速が混むことはないし、どこに行っても空いている。ツアーとなるとまた格別だ。新幹線のグリーン車移動のツアーであっても、楽器車でのツアーであってもワクワク感や期待感は変わらない。ひとところに長居をする訳にはいかないが、街から街への移動は楽しいし、会館には会館の、ライブハウスにはライブハウスのいいところがあって、どちらがいいとは言えない。空き時間の散策は気持ちをリフレッシュしてくれるし、見慣れない道を歩くだけでも得した気分になる。ツアーで訪れた街で普段会えない遠方の友だちと語り合うこともできるし、土地土地の名物を探す楽しみもある。ぼくたちミュージシャンは旅人でもあるということだ。旅で見る景色が、友との楽しい時間が、お客さんとの魂のキャッチボールが、ツアーでの経験のすべてが“いい音”に導いてくれていると信じたい。

  “いい音”・・・。その意味は?その心は?と、追及すればするほどむずかしくなる。哲学のように、禅の教えのように、考え出すとキリがない。ぼくはまだまだ経験不足で、いまだ途半ば、これ以上掘り下げる自信がない。いつか、正面から受け止めて、迷わずに持論を書けるような音楽家になりたい。 (了)

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