『万年筆は、ペン軸の内部に保持したインクが“毛細管現象”により溝の入ったペン芯を通してペン先に持続的に供給されるような構造を持った携帯用筆記具の一種。インクの保持には、インクカートリッジを用いたもの、各種の方法でインクを吸入するものがある。萬年筆とも書く』ウィキペディアの『万年筆』のページは、こう始まっている。

  1883年、アメリカの保険外交員ルイス・エドソン・ウォーターマンが毛細管現象を応用したペン芯を発明したことが万年筆の基礎となったという話は有名だが、万年筆“らしきもの”は953年ごろエジプトのファーティマ朝の時代に発明された。日本でも江戸時代にはすでに『御懐中筆』という名の携帯用筆があったという。軸に詰めた綿に墨汁を含ませて筆先ににじみ出させるという仕組みだったらしい。それにしても、万年筆(まんねんひつ)・・・。なんて麗しいネーミングなのだろう。いつまでも使える筆記道具に、という思いを込めて名付けられたのだろうことはよく分かる。最初に『萬年筆』と命名したのが誰なのかは諸説あって定かではないが、輸入筆記具を扱う丸善との関係が深かった評論家・小説家の内田魯庵だというのが通説だそうだ。1884年に日本初の万年筆を模作した大野徳三郎が命名したという説もある。驚くことに、ウォーターマンの発見から1年しか経っていない。1884年は明治17年。明治の日本人の先進性を感じずにはいられない。いや、明治というよりも江戸時代の文化や教育の水準が高かったということだろう。もっと日本の歴史を誇ってもいい。

  日本語では、書くための道具は基本的にはすべて“筆”だ。英語の『PEN』もペン以外では、筆と訳される。鉛筆も鉛の筆という意味だ。そもそも、“筆”という字は“竹”と“聿”(いつ)とを組み合わせた文字で、“聿”という字は“ふで”と“又”(ゆう)からできている。“又”は手の形だから、“聿”は、“手にふでを持った形”ということになる。ふでは竹で作られることが多かったことから“筆”という字ができた。そんなことを思いながら筆やペン、鉛筆を持つとありがたみもまた違ってくる。

  ぼくが万年筆に初めて触れたのは小学生の頃だ。母がどこかでもらってきた万年筆をくれたのが始まりだった。その万年筆はものすごく細い字で、書くとカリカリという固い音がした。極細のペン先だったに違いない。万年筆の字はこんなに細いものなのだと脳に刷り込まれた。それから、20年ほど経った30歳の頃、プレゼントでモンブランの万年筆をもらった。固い細い字という印象しかなかった万年筆だったが、中字のペン先から流れる黒いインクの瑞々しさにあっという間に虜になった。万年筆の造形の美しさ、黒と金のシンプルな色使い、キャップの上の六角形の白い星型マーク、そして、書き心地。こんなにも素晴らしいものだったのかと感動し、この年から年賀状はもちろんのこと、葉書や手紙にも万年筆を使うようになった。

  そのうちに、もっと太い線で書けるものがほしいと思うようになった。調べてみると、万年筆には細いものから太いものまで、たくさんの種類があることが分かった。EF(極細字)、F(細字)、FM(中細字)、M(中字)、B(太字)、BB(極太字)、C(特太字)、MS(ミュージック)等々・・・。次は太字がほしい、と試し書きができる文房具屋に行ってみた。全種類試すことができたのは、『パイロット』のカスタムシリーズだけだった。このときの出会いがすべてだった。ぼくが買ったのは、太字ではなく極太の万年筆だった。極太のペン先からほとばしるインク、乾いた後の線の色あい、すべてがぼくの心に響いた。このカスタム74は、それほど高価ではなく、30歳過ぎのぼくにでも無理せずに買えるものだった。1万円を払って購入した。そして、それ以来ずっとぼくのメイン万年筆だ。

  ヨーロッパのお土産にといただいたウォーターマンやペリカンの万年筆もなるほどと思える書き味だが、ペン先のしなり具合がぼくの筆圧には合わない。欧米の万年筆は横書きが前提で、日本の文字よりもシンプルなアルファベットを書くために作られている。日本のメーカーは日本人が書くことを前提に、その特性、特質をきちんと分析して製作している。左から横書きする欧文とは異なり、右上から縦書きする日本語に合わせてインクの量やしなりを研究しているのだ。更に、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットと書き分ける日本人の指先の繊細さをも弁(わきま)えている。

  日本には万年筆の3大メーカーがあって、それぞれが素晴らしい万年筆を作り続けている。『パイロットコーポレーション』『プラチナ万年筆』『セーラー万年筆』の3社だ。数年前、パイロットカスタムシリーズの極太をもう1本手に入れた。今は7,000円代で買える。プラチナの#3776シリーズも書き味抜群だ。ぼくの中の2番手で、富士山の高さの3776がペン先に刻印されている。実売7,500円、コストパフォーマンスの面でもパイロットカスタムシリーズに劣らない。セーラー万年筆にはペン先の先端が剣先のように長く研ぎ出されている”長刀研ぎ”というタイプの万年筆がある。これは伝説のペン先職人、長原宣義さんの卓越した技術が生み出したペン先で、筆のようなしなやかさを持ち、日本の文字を美しく書くことができるとされる。これも手に入れてみたが、ぼくにはちょっとしなり過ぎるように感じられた。そして、まだ使ったことはないけれど、この3社以外にもたくさんのメーカーがあって、個性際立つ作品を世に送り出し続けている。

  海外の万年筆は『モンブラン』を筆頭に『ペリカン』『ラミー』『パーカー』『アウロラ』『ウォーターマン』『シェーファー』『クロス』等々・・・綺羅星のごとく存在している。日本の他社の作品を中心に他の万年筆にも興味はあるが、買おうとは思わない。万年筆はその名の通り一生ものだからだ。今あるものをずっと使い続けていきたい。もし、もう1本だけ、というならばモンブランのマイスターシュテュック149がいい。数多くの日本の作家たちに愛された名器、これだけはいつか手にしてみたい。

  パイロットカスタムシリーズをもう1本買ったのには理由がある。インクだ。当初はカートリッジのインクを使っていたが、瓶に入ったインクを買い、コンバーターで吸引して使うようになった。そうなると、心情的にひとつの万年筆にひとつの色しか使えなくなってくる。そこで、もう1本手に入れた訳だが、そうまで思わせるインクとはいったいどんなものなのだろうか。

  パイロットのインクに『iroshizuku』【色しずく】というシリーズがある。万年筆専用の瓶入りインクだ。この“iroshizuku”、何とも言えないネーミングの色ばかりが揃っている。名を挙げるだけでも気持ちが安らぐ。すべてを紹介したい。

≪iroshizuku≫
asa-gao 【朝顔】
ajisai 【紫陽花】
tsuyu-kusa 【露草】
kon-peki 【紺碧】
ama-iro 【天色】
tsuki-yo 【月夜】
shin-kai 【深海】
ku-jaku 【孔雀】
shin-ryoku 【新緑】
syo-ro 【松露】
chiku-rin 【竹林】
fuyu-shogun 【冬将軍】
kiri-same 【霧雨】
take-sumi 【竹炭】
yama-budo 【山葡萄】
murasaki-sikibu 【紫式部】
tsutsuji 【躑躅】
momiji 【紅葉】
fuyu-gaki 【冬柿】
yu-yake 【夕焼け】
kosumosu 【秋桜】
ina-ho 【稲穂】
tsukushi 【土筆】
yama-guri 【山栗】

  パイロットのホームページに色見本が載っているので、ぜひ、見てみてほしい。ブルーブラックのインクが大好きだったぼくは、shin-kai【深海】という名のボトルを見つけ、コンバーターと合わせて購入した。ガラス製のボトルの造形さえ見事で、瓶越しに映る色の深さがため息を誘う。書いた文字も色の濃淡がはっきりしていて美しい。美しいという言葉では表現しきれないほどの豊かな表情を見せる。パイロットのカスタム74極太にshin-kai【深海】のインクを合せた。そのうちに、黒のインクがほしくなった。選んだのはtake-sumi【竹炭】だ。この竹炭を使うために新しいカスタム74極太を購入したという訳だ。日本人の色に対する想いはことさら深い。白の中に何種類もの白があり、黒にもさまざまな黒がある。世界にも稀な四季を擁する日本人が育んできた感性や機微(きび)は国の宝だ。世界では紛争が続き、憎しみ合うことしかできない人がいる。死にゆく子供たちを見守るしかできない人がいる。そんな中で色がどうのこうのと言っていてもいいのか、という考えもある。しかし、心の豊かさを伝えて行くことこそが大事だと思うのだ。どんな国にもプラスとマイナスがある。誰にでもプラスとマイナスがある。プラスをマイナスよりちょっとでも多くしてゆくために、ぼくたち音楽家は音楽を奏で続ける。みんながそれぞれの仕事をまっとうし、少しでも多くの笑顔を生み出すことが世界をひとつにするための近道だと信じたい。夢のような話かもしれない。時間だってかかるだろう。それでも、手に負えなくなったと言われる世界の現状を1ミリでも2ミリでも先に進めなければならない。

  ぼくが紹介した万年筆は7千円で買える。コンバーターは数百円、インクは千数百円だ。1万円もあれば、誰にでも素敵な万年筆ライフを始めることができる。女性なら細字、中細字が、男性ならば、中字、太字、極太字がお薦めだ。字はうまい下手ではない。人となりが出るからこそカッコいいのだ。ぼくの2本のパイロットカスタム74は書き味が違う。20数年使ったものは、ぼくの書き癖によく馴染み、手との一体感は完璧だ。まるで愛用している71年製のジャズベースのようだ。このカスタム74はshin-kai【深海】専用だ。普段、カバンに入れているあたらしいカスタム74は、まだ若さがあってシャキッとしている。こちらにはtake-sumi【竹炭】だ。万年筆は人に貸すものではないと言われる。自分の書き癖を大切にするということだ。癖は自分らしさにも繋がっている。そして、自分らしさは世界へと繋がっている。 (了)

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