銚子電鉄をご存知だろうか。銚子から半島の南端・外川 (とかわ) までの6.4キロを19分で結ぶ一両編成の鉄道である。80余年の歴史を背負った車両は人間ならば皺や白髪のように深い味わいを醸しだしている。 “朱” というか、 “臙脂 (えんじ)” というか、車両の下半分は品のいい赤で染められ、上半分は墨色のような、チョコレート色のような落ち着いた黒に覆われている。更に天井は石灰や白墨のように重みのある白で塗られている。その姿は見ている者をホッとさせるようなレトロ感に溢れている。1923年に 『銚子鉄道』 として営業開始、1948年に 『銚子電鉄』 へと社名を変更した。 『銚電』 は愛称である。この銚電、昨年の11月からにわかに話題を集めている。テレビのニュースや新聞の記事で知っている方も多いと思うが、今回は応援の意味を込めて銚子と銚電の話。

  この正月、母の提案で久しぶりに銚子に行くことになった。銚子は千葉県、そして関東の東端にあり、実家のある横芝光町から東に約35キロ、車で小1時間の場所だ。千葉東金道路から続く高速道路は昨年やっと横芝光町まで延長された。戦後40年ぐらいの間に千葉県の東総方面に故田中角栄のような豪腕政治家がいたなら銚子までの高速道路はとっくにできていただろう、と確信を持って言えるがそんな人物は出なかった。千葉県にも浜幸先生 (元衆議院議員・浜田幸一) という有力政治家がいるにはいたが、富津市出身のため、影響力が強かったのは木更津を中心とした県の西から南の地域だった。もちろん浜幸先生は地元のためにがんばった。時々、無茶やヤンチャをしながら東京湾アクアラインや館山道の整備に尽力した。

  1月3日の午前10時、車2台で出発した。銚子までの幹線道路は今でも国道126号線だけだが、信号が多く、時々渋滞しているということもあって海岸線の道を選んだ。滅多に通ることのない道には新しい発見がある。生まれ育った町や地域にでもまだまだ知らない道や景色があることを思い知らされる。道中はいつもより車も人通りも少ない。2台の車は匝瑳市 (※旧匝瑳郡野栄町と旧八日市場市) を抜けて旭市 (あさひし) に入った。海岸沿いのまちにぴったりの美しい名前だが 『旭』 という呼称は一説には 『旭将軍』 と呼ばれた木曽義仲の末裔である木曽義昌がこの地で死去したのを惜しんで命名されたとも言われている。旭市は2005年に海上郡 (かいじょうぐん) 海上町 (うなかみまち) と飯岡町、そして香取郡干潟町と合併したが旭市の名は残った。飯岡海岸ではたくさんのサーファーが波乗りを楽しんでいた。冬の間は砂浜に車を入れることが許されているのだろう、波打ち際にはボックスカーが並んでいた。旭市を過ぎると銚子だ。海岸部は砂浜が主だが、南には荘厳な屏風ヶ浦 ( ※銚子市名洗町から旭市上永井の刑部岬までの海岸線に連なる断崖絶壁のこと。イギリスとフランスの間のドーバー海峡にある崖に似ていることから東洋のドーバーとも呼ばれる) が立ち並ぶ。まさに切り立った屏風、圧巻だ。銚子を訪れるのならこの海岸壁、じっくりと堪能してほしい。

  元旦には大勢の人が銚子を訪れる。 “初日の出” を見るためだ。関東最東端の犬吠埼では山頂、離島を除いて日本で最も早く初日の出を見ることができる。その時刻は例年6時46分頃だ。 (※日本の最東端は北海道根室市の納沙布岬だが、地軸の傾きの影響から元日前後の約十日間に限っては犬吠埼に最初の朝日が訪れる) 犬吠埼から見下ろす太平洋の海原は雄大だ。荒磯に打ち上げる荒々しい波、白亜の灯台が美しい。銚子にはこの 『犬吠埼』 の名の由来になっているこんな伝説が残っている。源義経が兄頼朝に追われ奥州にのがれる途中、一千騎を引き連れて外川にある岩礁 (千騎ヶ岩) にこもり、そのあと荒れる海に出航した。その際に海べりに残された愛犬が義経を慕って7日7晩ほえ続け、最後には岩になってしまった、というものだ。義経が総州を通って逃げたと言う話は聞いたことがないが伝説はロマンをかきたてる。そして、その犬岩は今でも海の彼方を見つめている。

  子供の頃から銚子には家族でよく出かけたものだ。グローブとボールを持って、お弁当を持って。君ヶ浜では弟とキャッチボールをした。360度見渡せる展望台では地球が丸いことを目ではっきりと確認できた。 (※記憶が正しければ当時は地球展望台と言っていたように思う) 今は怖くて到底登れないが、昔は犬吠埼灯台にも何回か登った。当時から高所恐怖症だったのに、くるくると螺旋階段を登るのが楽しかったのか…。ただ、灯台の上から見ためまいを催すような風景はまぶたに焼きついて離れない。昨年、マルセイユのイベントライブに出演した帰りのことだ。パリに寄ってバンドのみんなと凱旋門の螺旋階段を登ったのだが、そのときにふと銚子の灯台を思い出した。また、銚子は野田と並んで醤油の製造で有名だ。小学校4年生だったか、遠足で銚子を訪れたときにヒゲタ醤油の工場を見学した。大豆の濃厚な匂いが目や喉にまで飛び込んできたのが印象深い。始めは息もできなかった。帰りがけに児童全員がもらった黄色いキャップの瓶詰め醤油を家に帰ると 「はい、お土産」 と母に得意げに渡した。銚子マリーナからは4月から9月にかけてイルカウォッチングの船が出ている。10月から12月ごろは鯨ウォッチング、そしてなんと、2月から3月にかけては、どこまで行くのだろう、オットセイウォッチングなんてものもある。銚子はなんとも不思議な魅力に溢れている。

  2006年11月15日、銚電のホームページに 『緊急報告』 と題したメッセージが掲載された。 「電車運行維持のためぬれ煎餅を買ってください」 というものだった。 「電車修理代を稼がなくちゃいけないんです」 と続いた。2006年8月29日、銚子電鉄の前社長が会社の名義で借りた1億円を着服したとして逮捕された。すでに赤字に苦しんでいたこの小さな鉄道会社はこれが追い打ちとなって瀕死の状態に陥ってしまったのだ。同9月12日銚子市職員による 『銚子電鉄問題対策プロジェクトチーム』 が組織された。銚電の存亡をかけた最後の戦いの始まりだった。 『緊急報告』 は以下のように続いた。 「弊社は現在非常に厳しい経営状態にあり、鉄道の安全確保対策に、日々困窮している状況です。年末を迎え、毎年度下期に行う鉄道車両の検査 (法定検査) が、資金の不足により発注できない状況に陥っております。このままでは、元旦の輸送に支障をきたすばかりか、年明け早々に車両が不足し、現行ダイヤでの運行ができないことも予測されます。社員一同、このような事態を避けるため、安全運行確保に向けて取り組むことはもちろんですが、資金調達の為にぬれ煎餅や銚子電鉄グッズの購入、日頃の当社電車の利用にご協力を賜りたく、お願い申し上げる次第でございます」 つまるところ、どこからもお金が借りられない。利用客も減少している。だから煎餅を買ってください、ということだ。ぬれ煎餅は、銚子電鉄が鉄道事業の赤字を補うために95年から製造販売している煎餅である。切羽詰まってのことだったのだろうが、この悲痛な叫びは多くの人の心を揺さぶり、全国からぬれ煎餅の注文が殺到、生産が追いつかないほどの売上げを記録した。というと美談というだけで終わってしまうが、売れた理由は窮状に対する同情だけではない。日本中の鉄道ファンが営業停止を許さなかったのだ。鉄道ファンはなんとも素朴で懐かしく、乗っているだけでホッとした気分になれる乗り物を失くしたくなかったのだ。駅に設置されたノートには日本中から集まった銚電ファンの熱い想いが綴られていた。最高時速40キロとあるがそんなに出ている感じはしない。キャベツ畑の間をトコトコと行くのである。 “ほのぼの” という言葉がしっくりくる。

  このメッセージが受け入れられた理由はもうひとつある。ぬれ煎餅の美味さだ。このぬれ煎餅はその名の通り湿っている。初めて食べた時は 「なんだ?この湿気た煎餅は?」 とそのクニュッとした歯ざわりにびっくりしたが、すぐにその美味さにはまってしまった。醤油を “付けた” 米生地を焼くのではなく、焼いた米生地を醤油に “漬ける” のだ。同じ “つける” でもまったく違う。とにかく癖になる美味さなのだ。このぬれ煎餅、今ではめずらしくはないが、元祖、本家本元はここ銚電なのである。犬吠駅では駅舎の中で焼いているから焼きたてを味わえる。電車の切符は “弧廻手形” という1日乗車券 (大人620円) を買うといい。ぬれ煎餅1枚との交換券や銚子ポートタワーと地球の丸く見える丘展望館の入場割引券が付いている。

  銚電の存続危機の話を聞いて千葉ロッテ・マリーンズのストッパー小林雅英投手が一肌脱いだ。1月14日、犬吠駅前広場で行われた地元有志による 『銚子電鉄サポーターズ』 発足式に出席、同会の記念すべき第1号会員になったのだ。銚子電鉄の制服姿でぬれ煎餅を焼いた小林雅の来訪の効果は大きかった。この日の犬吠駅はかつてないほどの人で溢れ、1口1000円で募った寄付金は900口も集まったのだ。そして、彼は今後も様々な活動で “救援” していくことを宣言した。うれしい話ではないか。こういった活動は大歓迎だ。もっともっとマリーンズを応援したくなる。ここでひとこと言っておきたい。ロッテ・マリーンズの前には “千葉” という地名が付いている。当たり前だが千葉のチームだということだ。そんなチームをわれわれ千葉県人が応援しないでいったい誰が応援するというのだ。県内の子供たちがみんなMマークのキャップをかぶっている姿を見てみたい。こんな恩恵に預かれるのは47都道府県の中でも10数県だけなのだ (※3年目を迎えた四国アイランドリーグに続いて、今年から北信越ベースボール・チャレンジリーグが発足する。新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ、信濃グランセローズ、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4チーム) マリーンズはユニホームもかっこいい。

  銚電を存続させるには利用する人が増えるのが一番だが、今はぬれ煎餅の売上げに助けられているそうだ。まだ口にしたことのない人はぜひ試してみてほしい。関東の東のはずれにある小さな鉄道が存亡の危機に瀕している。夕張市のような市自体の財政破綻ほど深刻な問題ではないかもしれないが存続には地元の協力、近くに住む人の応援が不可欠だ。もっともっと県民や鉄道ファンに愛される銚電になってほしいと思う。これからはマリンスタジアムでも何かしらの応援イベントがあるかもしれない。 「そうだ、マリンスタジアムに行こう」 観光地としての銚子もまだまだ捨てたものじゃないぞ。 「そうだ。銚子に行こう」 そんな声が聞こえてきたらうれしい。そして、近い将来、銚子でのBRU主催ライブも実現させたいものだ。
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