4月中旬から5月にかけて3週間ほどをヨーロッパで過ごした。4ヶ国6ヶ所に及ぶライブツアーだ。ライブが目的なのだから遊びではない。それでもライブ以外に移動があり、時には観光もしたのだから旅といえば旅ともいえる。ぼくがメンバーとして活動しているバンドBARAKAは2000年から毎年のように海外ツアーを行っているが、今回は各所に “滞在した” というだけではなく “生活した” という実感もある。これまでのツアーはたいてい2週間前後だった。今回は3週間、異国で過ごす2週間と3週間とでは印象がまったく違う。たかが3週間ではないのだ。この差は想像もできなかった。その土地土地で呼吸をして初めてわかったこと、改めて肌で感じたことがたくさんあった。どんな地域にも素晴らしいところとそうでないところ、学ぶべき点と真似をしたくない点がある。ここでは一旅行者として印象に残ったことを、時には日本の場合と比べながら綴ってみたい。

  ヨーロッパという名称はギリシャ神話に出てくるエウロパ (EUROPA) という女神の名に由来している。(※エウロペともエウローペーとも言われる。) ある時、ゼウスはこの女神を見て一目ぼれした。そして、みずから白い牡牛に変身して誘惑し、クレタ島へ連れ去るのだが、その際に現在ヨーロッパと言われている地域を駆け回った、という逸話からこの地域一帯をヨーロッパ (EUROPE) と呼ぶようになったと言われている。 (※ 『歴史の父』 と呼ばれる古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが 「エウローペー」 を地理的名称として初めて使用した。) ちなみに日本を英語で表すJAPANの語源はイタリアの探検家、マルコ・ポーロ (1254〜1324) の旅行記 『東方見聞録』 (マルコ・ポーロ自身が書いたのではなく、彼が口述したものをルスティケロ・ダ・ピサが筆記し編纂した。) に登場する黄金の国 (ZIPANG、ZIPANGU) であるという説が有力だ。その他、「にっぽん」 あるいはその異読である 「じっぽん」 が転訛したという説、当時の中国語が語源であるという説などがあり、ヨーロッパ諸言語ではこれから派生した呼称を日本を示す語として使用している。フランス語ではJAPON (ジャポン)、スペイン語はJAPON (ハポン)、イタリア語ではGIAPPONE (ジャポーネ)、何ともむずかしいというかおもしろいというか…。

  日本人はヨーロッパという言葉にある種の憧れを抱いている。いや、憧れを通り越して美化さえしている、と思えることさえある。日本人の多くが 「ヨーロッパは美しい」 「日本よりずっと住みやすそうだ」 などというイメージや印象、そして先入観を持っているのではないだろうか。1987年から放送されている 「世界の車窓から」 という長寿番組をご存知だろう。何気なくテレビを観ていると時々お目にかかるが、こうした紀行番組がしばしば取り上げるのがヨーロッパだ。テレビ番組や旅行雑誌で紹介される美しい建物や景色がぼくたちの中のヨーロッパ像を美しいもの、神聖なものにしているのだ。ぼくも例外ではない。だが映像や写真はほんの一部を切り取ったものでしかない。カメラの両脇や後ろにも風景はある。匂いがあり音がある。

  街並みは確かに美しい。古い建物は今でも現役だ。数百年の歴史を堂々と刻んでいる姿は見事としか言いようがない。2度の世界大戦をも乗り越えた存在感は半端ではないのだ。ヨーロッパの国々は建物から道に至るまでほとんどが石や煉瓦 (れんが) でできている。地震が少ないというのが一因だろう。石の建物には威厳、荘厳という言葉が自然に思い浮かんでしまうような風格がある。それと同時に畏怖とか畏敬などという言葉を思い起こさせる雰囲気も漂っている。ローマ時代に建てられたコロシアムや教会には、中に一歩足を踏み入れると肌が一瞬にして粟立ってしまうほどの冷気があふれていた。鍾乳洞の奥深くに立ち入ったときの印象に似ている。

  ヨーロッパの素晴らしさのひとつは古いものを大切にしているという点だ。古い建物が特別扱いされずに現在でも生活の中にしっくりと馴染んでいる様子は見ているだけで何とも気持ちがいい。日本の場合だったら鉄筋コンクリートのマンションの隣に江戸時代の建物が見事に調和、共存している、とでも言ったらいいだろうか。いや、違う。古民家園にあるような家々が街中に溶け込んでいるといったところか。 (※日本の場合は地震が多く高湿なため古来、木の建物が中心だった。火事も頻繁に起こった。そのため残っている古い建物は少ない。特に都市は第二次世界大戦で破壊しつくされてしまった。しかし平安時代、鎌倉時代の寺社が美しい佇まいのまま残っていることを考えれば単純に木の家が石の家よりも寿命が短いとは思えない。下町に行くと昔の家並みの名残があるがその姿には味わいがある。) ヨーロッパの街では観光地でも古い建物がそのままま使われていた。建ち並ぶ建物の1階部分が軒並みブランド店に変わっていた通りもあったが改造されたのは室内だけで建物自体は昔のままだ。

  さて、この日本の高湿だが我々国民の間での地位は低い。この国の住民は自国の高湿についてはあまりよく思っていないようだ。確かに梅雨の時期のカビやジメジメした空気には閉口してしまうがそれだけで判断してはいけない。ぼくの高湿に対する考えはこの旅で一変してしまった。日本の高湿の恩恵に、特に女性は感謝しなければならない。ヨーロッパは空気が乾燥している。空気中に水分が少ないため紫外線がそのまま肌に突き刺さり、気温がさほど高くない日でも肌の弱い人なら一日で焼けてしまう。紫外線が皮膚に良くないことは科学的に証明されている。それに喉や鼻も乾いてしまうから風邪をひきやすくなる。目にもきつくサングラスなしでは出歩けない。特にサマータイムの時期になると夜でも9時ごろまで明るい。夕方が延々と続く感じ、日本の5時が3時間続くという感じなのだ。これはあくまでも相対的なものであって日本と単純に比較しただけだから、もしかしたらぼくたち日本人だけがヨーロッパの紫外線を不快に思うだけのことかもしれないが、日本の高湿がもたらす “潤い” が尊いものに思えた。日本人女性の、俗に言う “しっとりとした” 肌はこの高湿のおかげではないだろうか。ヨーロッパ人と日本人を比べた場合、たとえば同じ40歳でも日本人の方が5歳から10歳は若く見えるように思う。そして、その差は歳をとるほどに開いていくようだ。

  日中は半そでで過ごせても朝夕は厚めのジャンパーが必要なほど寒くなる。マドリッドでは昼間30℃を超えたが吹き抜ける風は冷たかった。これではまったくもって何を着たらいいのか分からない。マドリッドに限らずヨーロッパの風は冷たい。朝夕と昼間の寒暖差が思ったよりもずっと大きいのだ。これも湿度が関係しているのだろうか。東京で冬でも半そでで闊歩している外国人をよく見かけるが納得した。日本人がひ弱なのではなく彼らが気温の差に慣れているからなのだ。なるほど地図を見るとヨーロッパの緯度は意外に高い。日本でいうと北海道と同じぐらいだ。北海道にも梅雨はない。

  日本人も韓国人も中国人も同じアジア人という括られ方だけで国を語られたくはないようにフランス人やイタリア人にとってもヨーロッパ人とだけで片付けられてしまっては迷惑千万だろう。それぞれに文化があり言葉がある。誇りがある。これらを尊重しながら書き進めていきたい。

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