ヨーロッパツアー最後のライブを終え日本で言えば新幹線にあたる超高速列車 TGV を利用してラ・ロシェル駅からパリ・モンパルナス駅へと向かった。あとはパリで数日を過ごすのみだ。日本の地を踏む日も近い。このころになるともうどうしようもなく日本食に飢えていて、皆の口からは普段は何気なく食べているものの名があたかも一生の夢のような調子でこぼれてくる。柴漬け、大根おろし、冷奴、お浸し、モツ煮込み…。パリではいたるところに日本食レストランがあったが、あと数日で本物の日本食にありつけるのだから我慢しない訳にはいかない。ここまできたら日本食は意地でも食べないぞと固く誓い、日に2度はため息をつきながら一同ぞろぞろと何かしらのレストランを探すのであった。

  東京には東京駅があるからパリにもパリ駅があると考えがちだが、パリ駅という名の駅はない。パリ市内には地下鉄を含めるとたくさんの駅があるが日本の JR にあたる鉄道のターミナル駅は方面別に分かれていて、パリという名の付く駅はパリ・モンパルナス駅、パリ・リヨン駅、パリ北駅、パリ・サン・ラザール駅、パリ・オーステルリッツ駅、パリ東駅、パリ・ペルシー駅がある。それぞれに特徴があり、近代的で広大な駅舎を持つパリ・モンパルナス駅は日本ならば東京駅にあたる。パリ北駅やパリ・リヨン駅は新宿駅や品川駅と言ったところか。パリ・ベルシー駅は一昔前の上野駅の雰囲気が漂う。貨物列車や夜行列車の発着を請け負っている。

  モンパルナス駅には夕方の6時ごろ着いた。滞在するホテルまでは駅前の広場を横切って約150メートル。歩いてもほんの数分の距離だ。だが、約40キロの荷物を抱えている身にとってはその150メートルが何倍もの距離に感じられた。何を大袈裟なと思われるかもしれないが、ぼくたちの荷物はずっしりと重たかった。ぼくの場合でいうとこんな感じになる。皆で示し合わせて必要最小限のものしか入れていないスーツケースが25キロ、ベースとベースケースが合わせて9キロ、エフェクターが詰まった背中のリュックが7〜8キロ。移動だけでも大仕事なのだ。空港のカウンターでは荷物の重さをめぐって係りの人と駆け引き (いや勝負と言っても過言ではない) が必要となるし、列車やバスに乗るときは荷物を置く場所を確保するのが先決だった。ぼくたちは今回のツアーでもすばらしい連携をみせ、すべての難関をことごとくクリアーした。

  たどり着いたのはこじんまりした平均的なホテルだった。チェックインの手続きをしていると日本人らしきカップルが入ってきた。男は35歳ぐらいで短髪、ひと目でプランド物と分かるサングラスをかけピタッとした白いTシャツを着ていた。白いTシャツの全面は雪だるまの美しい曲線を連想させた。女は20代後半だろうか、派手な服装や装飾品は場違いに思えた。疲れ果てたご様子。ふてくされているようにも見えた。男は周りを気にしながらも一生懸命にご機嫌取りをし始めた。日本語がもれ聞こえてくる。日本人に間違いない。夫婦だったのか恋人同士だったのかは分からない。だが、ここではふたりの関係などどうでもいいことだ。この場面だけの対面だったのならこのふたりもパリの街で見かける日本料理店のように旅の一風景としてただ通り過ぎるだけで終わっていたはずだった。いや、厳密に言うと対面はこの場限りだったのだが、ぼくは数10分後にある場面に遭遇し複雑な思いをさせられることになる。

  ぼくたちはお腹が減っていた。すぐに食事に出かけようと30分後に集合することになった。このホテルには2日間滞在する。部屋に入って荷物を所定の位置に収めると少しだけホッとした。ベッドに腰掛けて安堵のため息をつくのだが心の荷までは解くことができない。心の奥底に見えない緊張が巣を張っている。それを完全に癒すには日本の空気や水、そして食べ物が必要なのだ。たった3週間の外国滞在でここまで感じるのが普通なのかそうでないのかは分からない。しかし、これに気づいたのはあくまでも日本に帰ってからのことであり、滞在中はこのような深い疲れのようなものは感じなかった。

  日本に帰ったらまず何を食べようとか、食べる順番はどうしようとか、のん気なことをまじめに考えながらぼくは集合場所であるフロントのカウンター前へと階段を降りていった。ちょっと早かったのかまだ誰もいない。ぼくは椅子に座って待つことにした。そのときフロントの方から声が聞こえてきた。椅子の前に柱があるから体を曲げないと声の主は見えない。フロント係の女性だけがはっきりと見える。誰かが彼女に英語で何かを訴えているようだ。

「ルーム イズ スモール!」
「ノー エアー コンディショナー!」
「キャント ユーズ パーソナル コンピューター!」

  柱の陰からちょっと覗くとさっきの日本人の男が声を荒げている。アメリカ人風に舌を巻き 「…スモォオ〜ル」 「…パァースォウナア〜ルゥ」 とやっている。訳すと 「部屋が小さいぞ!」 「エアコンがないじゃないか!」 「パソコンも使えやしない!」 とこんな感じだろう。ぼくは何を言ってんだ?と怪訝に思ったが皆が来るまでは椅子に座って聞いているしかない。そもそもホテルのホームぺージにはエアコンはない、パソコンをつなぐことはできないとはっきり書いてある。部屋が小さいったって個人の感覚の問題だからどうしようもないと思うのだが…。文句を言われる方はたまったものではない。フロントの女性は無言のまま首を左右に小さく振りながら両手を広げ困ったような表情を作っている。そのジェスチャーの中にはいろいろな意味が含まれている。1を聞いて10を知る日本人ならばその気持ちを汲み取らねばならない。だが、男は続ける。

「ジャパニーズ エージェント セ〜ッド!」
「ルーム イズ ビッ〜グ!」
「ゼアラー エアー コンディショナー!」
「ユーズ パーソナル コンピューター!」

  訳すと…。すみません、略します。とにかくひどく怒っているのだ。その内容、発音の凄まじさにあきれ、こちらまで首を振りながら聞いていると女性の顔色も変わってきた。フランス語で 『私にどうしろっていうの?』 的なことを言い始めた。

  「アイ ウォント トーク ユアー ボス!」 男はすかさず上司を出せと言い放った。 「ノー」 女性が返すと 「ホワ〜イ」 を繰り返す。男の口から次に出た言葉は 「アイ アム アングリー!」 だ。 『オレは怒ってんだ!』 と言いたかったのだろうが、フランスでこの言葉を使う時は要注意だ。フランス語では 「H」 は発音しない。たとえば Hermes はエルメス、Hugo はユーゴ、Hommage はオマージュと発音する。だからこの男が口にした Angry (怒る) は Hungry (空腹である) と間違えられる恐れがあるのだ。つまり 「オレは腹が減ってんだ〜」 と文句を言っていることになってしまう。もちろん女性もこの男が怒っていると言っていることぐらいは分かっている。何度目かの 「ノー!」 の後に手にしていたボールペンを思い切り投げつけた。そして腰に手をやり男を睨みつけた。もう黙ってはいないという意思表示だ。ちょっと怖い…。それにしても、外国では思ったことははっきりと言わないといけない、とか Yes、No はきちっと伝えなければならない、という旅行誌や経験者の助言が誤って解釈されたり、履き違えて使われたりするケースが多いような気がしてならない。少なくともぼくが今までに出会った外国人はほとんどの場合、顔色や態度から相手の気持ちを正確に察していた。

  ボールペンを投げつけられた男はちょっと怯み、挙げ句の果てに 「サービス イズ ユアー ジョブ!」 と叫んだ。 『サービスすんのが仕事だろ!』 と言いたかったのだろうがこんな変な英語はない。サービスはあなたの仕事だ、では意味が通じない。それにサービスするのが仕事だなんて思っているヨーロッパ人はいない。彼らは自分のやるべき努めを完璧にこなすことを尊しとしているのだ。日本で言うサービス精神、もっと言うとおもてなしの心か、は薄いかもしれないが、その代わりに自分の仕事にはきちっと責任を持っている。どんな仕事であっても責任の重さを心得ているのだ。そのうち、フロントにホテルの制服を着た男性がやってきた。文句を言っていた男は急にトーンダウンしておとなしく話を聞き始めた。きっと、派手な連れの女に 「あ〜暑い、何でエアコンがないの〜?部屋も広いって言ってたじゃない。ちょっと文句言って来てよ」 とか何とか言われて凄みに来たのだろう。先が思いやられた。ふと、フロントの女性と目が合った。彼女はぼくが日本人だということを知っている。ぼくはいろいろな思いを込めて目配せをした。彼女はうなずき、かすかに微笑んだ。

  その時、「お待たせ!」 という声がした。皆いる。さあ食事だ。ぼくは立ち上がるとまだまだ明るいパリの夜の中に足を踏み出した。

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