<百二十二の葉>
フトシ回顧録
フトシです!

 オレの名前はホソダフトシ。漢字での表記は勘弁してほしい。なぜって?その質問はないだろう。察してくれよ。オレはこの名のおかげでずいぶんと損をしてきたんだ。分かるだろう?親父の気まぐれをずいぶんと恨んだものさ。まあ、気持ちとは裏腹に得したことだってあるにはあったがね。並の神経を持つ人にならオレの気持ち分かってもらえると思うがどうだい?いつの日だったか、お袋に「何でフトシなんて名前を付けたんだ!」「どうして反対しなかったんだ!」と食ってかかったことがあったよ。お袋はオレの目を見てさ、さめざめと泣くだけだった。「ごめんね〜、父さんが知らないうちに届けてしまってね〜」とか「冗談では言ってたけど本当に届けちゃうとはね〜…まさかと思ったわよ」とか、そんな言葉が出てくるもんだとばかり思っていたオレは焦った。逆に何か深い訳でもあったのかと生唾を飲み込んでしまったよ。それ以来、オレはおっかあを…あっ、このおっかあという言葉、オレは今初めて使ってしまった。なんだか恰好を付けているようで気に入らない。オレは、このエッセイの執筆を受けるにあたって、どんなことでも正直に書くと誓ったんだった。たとえ言葉ひとつでも正確に書かねばならない。それが昭和の男の意地ってもんだ。昭和30年代に生を受けたオレたちは、戦争を生きぬいた諸先輩方の苦労や努力を知ってか知らずかすくすくと真っすぐに育った。今考えればいい時代だったよ。程よい放任主義がオレたちの自主性を育くんだんだ。子供には本当の自由があったよ。奇跡とも言われた高度成長期の日本を肌で感じていたのは、実はオレたちぐらいだったんじゃないかな。これは強(あなが)ちはずれではないだろう。昭和の男ってのは激動の昭和を看取った男たちのことなんだ。これはオレの勝手な解釈だが同感なら誰でもこの説を自由に使ってくれてかまわない。とにかく、おっかあなんて普段口にしたこともないような言葉はもう使わない。恰好はつけない。だから…なんだった?そうだ、それ以来、お袋を困らせる質問はしてはいない。


 オレはある映画会社で部長職を預かっている。部下の受けもまあまあだろう。生まれ持っての前向きさがオレにはあった。これが幸いしたんだな。勉強の出来はたいして良くはなかった。スポーツも並だった。背伸びをして役者を目指したこともあったが人生思ったようには行かなかった。だが、オレはめげなかった。いや、オレにはめげるなんて発想はなかったんだ。親にもらった前向きさだけがオレの財産だった。その財産のおかげでオレは今この会社で好きなようにやらせてもらっている。学生時代にアルバイトをしていた会社に入社し、元気の良さを社長に買われたことがきっかけだった。あの頃はまだ創立10年ほどの若い会社だったが、今では、協賛という形ながら映画制作にも乗りだせるような会社になった。オレのような者が本音で仕事できる会社なんてそうあるもんじゃない。オレは幸せだ。映画ってのは何でもありだ。映画に携わる人間は真面目一方でも、不真面目一筋でもいけない。ちょっとぐらい癖や変なところがあった方がいいんだ。人間味こそが映画のスパイスだ。ここんところを分かってないと映画はただの娯楽になっちまう。人間味が映画のスパイスなら、映画は人生のスパイスだ。あっ!これ、なかなかいい。いいじゃないか。来月の特集のキャッチコピーに使えるかもしれない。発想というものはこうして生まれるものだ。答えはどこにでも転がっている。


 オレはここ5年ほど、月1回のペースで会社のホームページにコラムを書いている。これが思わぬ好評を博した。映画の感想を正直に書いているだけなんだが、歯に衣着せぬ切り口がいいという評判がたった。オレは嘘やおべっかが嫌いだから、どんな名監督の作品でもおもしろくない作品はおもしろくないとはっきり言ってきたまでのことだがそれが受けたようだ。出版社に勤める高校の同級生タドコロがそこに目を付けた。映画誌『映画はおともだち』にエッセイを書いてくれないかと言ってきた。季刊だから年に4回。テーマは映画に限らず何でもいいという。オレは書くことは嫌いではないからやるよと言ってすぐに引き受けた。


 その出版社は変わった会社でエッセイのタイトルを決めるにも会議が開かれた。『映画はおともだち』という雑誌のタイトルも幾度となく会議を重ねて決めたというからゾッとしたが案の定、タイトル検討会議は一度や二度では済まなかった。一回目の会議では以下のようなタイトルがホワイトボード一杯に並んでいた。「フトシ雑記」「フトシ筆録」「フトシ抄録」「フトシ覚書」「フトシ書留」「フトシ書付」「フトシ伝」「フトシ雑記帳」「フトシ手帳」…。オレは唖然としたよ。決められる訳がない。この時は自分でも考えたいからと申し出て席を辞したが、二度目はさらにエスカレートしていた。一回目の候補の隣に「実録・オブ・フトシ」「フトシ・レポート」「フトシ自伝」「フトシ詳伝」「フトシ立志伝」「フトシ武勇伝」と並んでいる。さすがに「フトシ立志伝」と「フトシ武勇伝」はすぐに嫌だと言った。オレは偉人ではないからね。かといって豚男(ぶたおとこ)でもない。豚男は大学時代の友達ミツダが小太りの自分を卑下して使っていた言葉だ。オレはミツダに「豚男とは豚に似ている男のことか?それとも、顔が豚で体は人間の姿をしている男のことか?あるいは、単に太った男のことなのか?」と聞いた。そしたら、ミツダは 「違う!お前は何も分かっていない!」と言って走り出した。そして、十数歩走ったところで立ち止まって言った。「ぼくは子豚男でもないぞ!」オレには何のことだかさっぱり意味が分からなかった。30年近く経った今でも、未だにその謎は解けない。


 三回目の会議では再びホワイトボードに候補が書き連ねてあった。新たな候補も満載だ。「フトシ日誌」「フトシ一代記」「フトシ語録」「フトシ備忘録」「フトシ通信簿」「フトシ口供書」「フトシ供述書」「フトシ始末書」「フトシ領収書」「フトシ閻魔帳」…。ふと見ると、ホワイトボードの隅にあとふたつほど小さく書いてあるようだ。近くに行って見てみると「フトシ怪文書」「フトシ母子手帳」と書いてある。「…」まったく意味が分からないし、ふざけているとしか思えない。さすがのオレも頭にきた。「書や帳が付けばいいってもんじゃないんだ!真剣に考えろ!」五回目の会議でやっと候補が絞られ、最後に残ったのが「フトシ独白」と「フトシ回顧録」だった。どちらがよりオレらしいか考えに考えた結果、オレは「フトシ回顧録」を選んだ。半世紀に渡るオレの人生を顧みるいい機会だと思ったからだ。記念すべき第一回目のタイトルは「焼き鯖定食」と決めた。週末の午後、オレは書斎に座ると愛用のセーラー万年筆(極太)を手に取った。


(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
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